第3章
地球温暖化はヒトの精神的進化の大きなチャンス
私の心の円グラフ
第1章では私がなぜ未来に絶望的になっているのかを述べ、第2章では私がなぜ未来に希望を持っているかの根拠を述べました。そのように、私の未来に対する感じ方は全く相反する二つの思いが混ざりあって、斑模様を形成しています。その割合を敢てグラフ化すれば、49%が絶望の真っ黒な部分と51%の希望の真っ赤な部分からなる円グラフが出来上がります。
なぜかはわかりませんが、私は以前から地球の未来のことが気になって気になってしかたがない性分です。その分、普通の人なら「しかたがないな」と思うだけのようなことでも、軽い失望や落胆で終わるようなことでも、私の場合はショックが大きくて、絶望的に感じてしまうことが多いのかもしれません。特に、生物種の絶滅の話は毎回心が痛み、深い悲しみを覚えます。自分の命が削られていくような痛みを感じます。幸い、まだほんの僅かだけ希望の方が多いために、私はかろうじて未来のために自分のできることをやろうという意志のほうが勝っています。
みなさんは、どうでしょうか。そのような心の円グラフが描けますか。私のように単純化できる人は少ないかもしれませんね。不思議なのは、10年来、私の心の中では絶望の暗い色も希望の明るい色も、両方とも年を重ねるごとに濃くなっていると感じることです。これは一体どういうことでしょうか。
「命の世界」は逆説に富む
私は情報化時代が絶望感を深め、「命の世界」からの働きかけが希望の色を濃くしていると感じています。3年前に『稲育てと子育て ー 逆境が生命力を発動させる』という題で書いたことがあります。そこでは、生物は食べ物が無いとか、生存の危険があるとか、生命維持にとって逆境にあるときに生命力が全開し、その逆境を乗り越えるために今ある能力を全開させる。そして、それでも足りない能力を種をあげて、世代を超えて、必死で求めるときに、新しい能力が獲得されるのではないか、それを進化というのではないかということを書きました。そして、そのような生命の危険性の無い快適な環境、つまり順境においては、生命力は衰退し、それが長引けば、退化に繋がるのではないかとも書きました。前号で付け足したのは、そのような進化は「命の世界」との相互作用、共同作業だと言う点です。
生物絶滅の危機と「命の世界」の反応
安穏と過ごした極めて快適な現代先進国の生活環境はヒトとしての進化を大きく妨げる要因になっています。それだけでも大問題なのですが、ヒトの反自然な生活様式がいよいよ地球の全ての生物を生存の危機に陥れようとするまでになってしまいました。彼らを生かすも殺すも我々人類の胸先三寸で決まるのです。いや、正確には我々人類でもコントロールできない、臨界点に近づきつつあります。
そのような生物絶滅の危機に「命の世界」はどう反応するでしょうか。その一つの現れと思われるのは、エイズビールスや院内感染を引き起こす耐性菌の発生です。いずれも人間の作った薬という「生物殺傷兵器」では殺せない菌類への変異現象が目を引きます。休眠状態にあった、人類に不都合なウイルス類も多数復活してきました。また、自然界のメス化や不妊症を引き起こす環境ホルモンの存在が明らかになりました。その半分は農薬に由来します。他の生物を大量殺戮する農薬が、巡り巡ってヒトがヒトの子孫を残せなくなるという、自業自得の事態を引き起こしています。これらは偶然の出来事でしょうか。命は「命の世界」と繋がっていますから、「命の世界」を破壊するような行為は自らを滅ぼす行為になるのは自明の理です。それを悟らせる働きが強まっています。
達観すれば、38億年の叡智の結晶である「命の世界」は愚かな人間の一時の戯れで完全に滅びることなどありえません。我々の想像を超えた強かさを備えていることに何の疑念も湧きません。人類こそが滅びの瀬戸際にいるのだという考えに全く同感です。
利己的な欲望から利他愛の人類へ
地球温暖化阻止に向けて、世界ではCO2を始めとする温室効果ガスを減らす努力を世界規模でやらなければいけないという共通認識ができつつあります。しかし、それは今起こっている事態の本質とは直接の関係はありません。第1章で指摘したように、地球温暖化をもたらしたのは、先進国が利己的な欲望を大胆に開放したことに根本的な原因があります。私たちが温暖化問題から真っ先に学ぶべきは利己的な欲望は地球とヒトの精神的な進化にとって非常に大きなマイナスだということです。そして、第二には、欲望の本質を正しく見極めることが大切です。ヒトの欲望には利己的な欲望だけでなく、共生本能から発する利他愛もあります。他人の不幸や苦しみに同情し、人の思いやりに共感する心や、困っている人を助けたい、弱っている人を救いたいなどという欲はヒトの精神的な進化を促進する欲望だと言うことができます。第3は、そのような共生本能を目覚めさせて、利他愛の人を目指し、同時に調和、感謝、謙遜、礼節、質素、誠実、理想、創造などの精神的な形質を高める努力をしていかないと、人類は温暖化以外の様々な地球規模の問題、例えば、異常なまでの貧富の格差の問題でも破局を迎える日は遠くありません。要するに、CO2だけに目を奪われてしまうと、進むべき道を誤ってしまいます。それらは全て「いのちの世界」が人類に自己愛や自己中心主義を克服して利他愛と共生の人類に昇華を促してるサインと受け止めることができます。
今すぐ、思い切ろう、決断しよう
凡人である私自身、この15年間にそのようなことをうっすらと感じて一体何度「生き方を変えよう!」、「自然の側に立とう!」と決断したことでしょうか。それでもこの有様です!しかし、その決断がなかったら、私には6反の広さの畑や田んぼすら与えられなかったかもしれません。そこでは自信を持って生き物との共生を実現しつつあるということができます。そこは名も無い微生物から、虫から小動物まで、様々な生き物が天文学的な数で命を生き永らえることができる避難所兼楽園になりつつあります。それは私にとって、限りない喜びです。畑を草地の自然環境と捉え、田んぼを水辺の自然環境と捉え直すだけで、農地再生と環境再生を同時に行える、とてつもなく大きな可能性が見えてきて、希望の色も濃くなりました。
(注:2009年6月時点で耕作地は1.4ヘクタールになりました。)
ですから、どうぞみなさんも、まだなら、早く思い切ってください。できれば今すぐにも、決断してください。精神的な進化の方向を目指そうと。自然の側に立とうと。そうすれば、必ずやみなさんにぴったりの環境が与えられるはずです。それぞれの能力に応じて、それぞれのできる範囲で。地球温暖化の動きは21世紀を通じてもはや不可逆的に進行します。決断が早ければ早いほど、私たちが「命の世界」との共同作業で実現できることもぐっと増えることでしょう。
絶望と希望の狭間で
そうは言ったものの、 環境破壊や地球温暖化に関する新しく悲しい事実が耳に飛び込んでくるたびに、弱い私は相変わらず落胆し、ときに絶望し、悲観的に未来を見るようになってしまいます。 まだ私の心の49%は絶望が巣食っているのです。しかし、畑や田んぼでさまざまな命の生き様を見せられると、また元気が、勇気が湧いてきます。日本に戻ってから
10年間ずっとそんな繰り返しでやってきました。ですから、みなさんも同じような思いをされるかもしれません。でも、くじけても、絶望してもいいのです。絶望し、また思い直して、気を取り戻して決断してと、繰り返す中でも不思議と精神力が培われた気がします。いつの間にか「生き物との共生」を目指した「畑と田んぼ環境」作りでは不退転の気持ちになりました。
十万年に一度の飛躍(=進化)のチャンス?
今私たちが迎えているこの事態はいったい何万年、何十万年ぶりの事態なのでしょうか。その事態がもたらす未曾有の危機、すなわち逆境が大きければ大きいほど、私たちヒトという種にはそれに応じた大きな精神的な飛躍〈=進化〉が待っているのではないでしょうか。年を重ねるごとに困難さを増すであろうこれからの世界で、目指すべきは精神世界を豊饒にすることです。一人一人にその選択が迫られている、とんでもない時代が到来しました。 私は一日一日、この命あることに感謝して生きて行きたいと思います。 (完)