なぜ今、円熟米なのか

●円熟米の売り上げが激増
円熟米は去年の9月と10月に初めてサガミックスと言うお店で売り出しました。その時は全く知られていなかったので、試食していただいても、一年前の古米だということで、買ってくださる人は僅かしかいませんでした。しかし、2年目の今年は全く違います。9月の売り上げは去年の4.3倍と激増し、10月は去年の6.4倍にも膨らみました。世間は新米の話で持ちっきりの時期にお客さんが進んで円熟米を手にするようになってきたことがわかります。円熟米の良さがだんだん認められるようになってきたと、とても喜んでいます。

●円熟米で食糧備蓄を増やせ
さて、なぜ私が今円熟米について何度も何度もしつこいまでに触れるのか、今日は天下国家の大計の観点から話をします。
現在の日本人が抱いている「新米―古米観」では、民間で十分な備蓄ができません。なぜなら、日本全体の備蓄という観点でみると、お米は収穫の時に国民を一年養う量があっても、収穫直前の7,8月には2,3か月分しか残っていません。しかも、古米ですから、誰も喜んでは食べません。もし、その時期に食糧危機が起こって、輸入が完全に止ってしまったら、向こう数カ月の間にも巷には餓死者が溢れることになりかねません。なぜなら、国産の米だけでは5500万人しか養えないからです。

政府の備蓄米100万トンがあるとはいっても、我々国民にはいつどこでどうすれば、食糧危機の時にその備蓄米の配給に預かれるのか、何も知らされていません。そんなお米が非常事態に当てにできるなんて考えないほうが賢明でしょう。

しかし、日本人が 円熟米の価値を再認識して、米は時間の経過とともに、新米→円熟米→古米の課程を踏むと考えるようになって、「新―熟―古米観」(シンジュクコマ観)を抱くようになれば、お米は一年間備蓄してから食べるのが普通になるかもしれません。すると、新米が出回る9,10月には一番理想的なケースでは、民間の備蓄は2年分あることになり、一番少ない7,8月でも1年分以上が備蓄されていることになります。
こうなれば、いつ何時食糧危機が日本を襲っても、1年間ぐらいはほとんど餓死者を出さずに乗り越えられる可能性が高まります。

●玄米貯蔵では古米に、籾貯蔵なら円熟米になる
そのためにどうすればよいのかというと、おそらく玄米貯蔵を籾貯蔵にするだけでいいのです。籾貯蔵にすれば、化学肥料米であっても、お米は少なくとも一年間は熟すようになるのではないかと想像しています。有機米なら、2年、3年と長きにわたって熟成するものと想像しています。現在流通しているお米の大部分は玄米貯蔵です。それは精米施設の大規模機械化の産物です。でも、それではお米の寿命はたったの1年しかなく、食糧危機に備えることができません。江戸時代には、どの藩も籾で貯蔵し、1年分か2年分の米や雑穀などが備蓄されていました。日本は民間で早急にそういう体制を復活させないと、いつ来るとも知れない食糧危機のときに、大悲劇を招く恐れがあります。
だから、今円熟米なのです。

畑では心を全開にして

 

畑に入るときは、どのような心構えで入ったら一番いいのでしょうか。私は心を全開にして入るのが一番いいと思っています。すると、畑の生き物たちのその場の雰囲気がすっと心の中に入ってきます。そして、その時の第一印象と言うのは、かなり確かなものです。
例えば、下のキャベツの写真を見てください。みなさんが見ても、ただのキャベツの写真にしか写らないでしょうが、その光景を見たときに私の心に瞬時に入ってきたものは、キャベツ君たちの気分でした。〈ぬくい、ぬくい。〉キャベツ君たちがそう思っていることがはっきりと感じられました。

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〈あ、スタッフが藁を敷いてやったから、喜んでるんだな。それはよかった〉。後から、そのような私の判断が生じます。そうなんです。最初に心で感じて、その後から頭で言葉を使って判断が生じる。
こういう順番だと、判断に間違いがありません。命と命の触れ合いと言うものは、人と人とであれ、人と作物とであれ、心で感じることを優先できるようになれば、正しい判断ができるようになりますね。
ただ、そのためには、心を愛情で温めておいたほうがいいですね。
私はなぜか作物にはそうすることが簡単にできるのです。でも、人間相手ではなかなか難しいことが多いですね。

食べられるものの価値と「農のある生活」の関係

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(小粒のサトイモ。売るには手間がかかる。)

農業をやっていてつくづく勿体ないなあと思うことの一つに、大きすぎたり、小さすぎたり、色や形が悪かったり、虫が食ったりして、売り物にならない野菜や豆やお米がたくさんあることです。それらの多くは廃棄されてしまいます。自家用に食べたりもしますが、一軒で食べられる量には限界がありますから、捨てる量の方が圧倒的に多くなります。

私のところでは、お米だと、だいたい全体の1.5~2%程度で、作物の中では一番廃棄率が少ないと思います。それでも、5トン生産すれば、75㎏から100㎏にもなります。確かに味は少し落ちるでしょうし、小粒なので食べずらいと言うこともあります。しかし、家族のためにだけお米を作っているのだったら、勿体なくて、大事に全部食べるでしょうね。
野菜だと、見当で言いますが、全体の10%から15%ぐらいだと思います。できるだけ廃棄処分にしないように、盛んにお裾分けをしたり、不揃いでも値段を下げて売ってみたり、あれこれ工夫をしているので、その程度で済んでいるのです。
そういった工夫の極めつけは、“虫食いあり”とうもろこしです。実際に売ってみたら、お客さんはちゃんと承知して買ってくれました。その時は感動しましたね。

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(恰好が悪かったり、ネズミがかじったりで、売れないサツマイモ。)

さて、一体日本全国でどれくらいの量の野菜が廃棄されているのかと言うと、どこかで読んだのですが、なんと全生産量の4割にもなるそうです。途方もない量ですよね。大規模に栽培しているところほど、廃棄率も量も増えるのではないかと思います。何とも何とももったいない話です。

国民一人一人が大なり小なり、自分の畑と田んぼを持っていて、それが国民生活の基本的な営みとなれば、そういう無駄はほとんど一掃されるのではないかと思います。自分が育てた野菜なら、虫が食っていようと、色が悪かろうと、必ず食べますよね。例えば、国民総幸福度(GNH,Gross National Happiness)が97%と世界一を誇るブータンでは、きっと国民の農地保有率もとても高いだろうと推測しています。
そのブータンでは、あるとき、今のアンチュク国王が巷で国民の声をじかに聞いた時、ある老人が自分には作物を作る土地がないと訴えたら、なんと国王が土地を(買って?)与えてくれたそうです。私もそういう国に住んでみたいですね。GDPはもううんざりです。

作物を育てて、それで作った料理を食卓に載せることは、大地に根差した生活で、それは日々の平凡でも幸せな生活に不可欠な要素だと思います。

今の農地に関する法律はがんじがらめで、矛盾だらけで、市民にはなかなか土地を借りることもままなりません。しかし、農家がその気になれば、状況はいかようにも変えられると思います。例えば、貸農園や体験農園がそれです。特に大都市周辺の農家がそのような気になってくれれば、遊休農地がどれだけ生かされて、市民の幸福作りに貢献できるか、計り知れないと思います。行政ももっともっとそういう視点から、足元にある遊んでいる土地の有効活用を真剣に考えてほしいですね。

無肥料栽培にこだわらない 

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自然農法にあこがれる人は、無農薬・無化学肥料はもちろんのこと、耕さなくても作物は育つことや、無肥料でも育つことに感銘を受けて自分でもやってみたいと思う人がとても多いと思います。私のその一人でした。
しかし、今ではそれはどちらでもいいことなのだと思うようになっています。

 例えば、今年、無肥料栽培の不耕起の畑のトマトではこんなことがありました。
そこは、連作3年目の場所です。トマトは一度作付したら3,4年は作らないほうがいいと言われているので、既にその時点で私のやっていることは常識外れです。しかし、7月後半から収穫が始まって1か月はゆっくりですが、とてもいいトマトが稔り続けました。異常高温が続いていましたが、トマトに異常は見当たりませんでした。大玉は1個200円でも売れるほど美しく、しかも自然な優しい味でした。この時点で自然農法はとてもよく機能していました。

しかし、お盆の頃から次第に葉の色が薄くなってきて、成長も鈍化して、辛そうに見えてきました。折しも、日照不足と、トマトが大嫌いな長雨と低温の日々となって、成長はピタッと止まってしまいました。 私は異常事態、緊急事態だと判断してトマトに自家製肥料をたっぷり与えました。

 

すると、異常気象の中でも徐々に葉色は緑色に戻り、止ってしまった成長が始まり、だんだんと茂るようになって行きました。しかし、花も咲かず、なかなか実はつけませんでした。お彼岸の頃になると、本来の秋らしい陽気に戻りました。一般的には、その頃までにはトマトの収穫は終わって片付けられてしまいます。しかし、私のところのトマトは花を咲かせて、ゆっくりとですが実を付け始め、そして枝葉を伸ばして、元気に成長を続けました。

そして、10月も後半になった今、不耕起栽培のトマトは、写真のように、ずいぶん沢山の実が色づきそうな気配です。
今ではすっかり元気を取り戻しています。

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この事例から様々なことを学ぶことができますが、一番大切なことは肥料のお蔭でトマトは復活したということです。8月の時点で、もし私が自然農法だから無肥料でやるんだとこだわり続けていて、肥料を与えていなかったら、トマトはもう全く実を結ばなかったのは確実です。異常事態が起こったときに栽培者は医者や介護士のような立場と同じで、その命を守るために最善を尽くすべきだと思います。命の危機を前にして、自分のこだわりを持っていたら、その命を救うために、その命に一番必要な対応をすることができなくなってしまいます。そこに、農法にこだわり、農法に囚われる際の大きな問題があります。

そして、二つ目の学びは、上手に育てれば、(ゆっくりですが)トマトは10月の終わりになっても実を付ける作物だと言うことです。トマトは本来とても息の長い作物です。また、意外と寒さにも強い作物です。たぶん11月の終わりまで、霜の降りるまで、実を付け続けると思います。

トマトとは、7月から11月まで“長~いお付き合い”をしようぐらいの気持ちで、その命を見守って、面倒を見てやるとうまくいくように思います。とは言いながら、毎年いろんな失敗を繰り返している私ですが・・・・。

円熟米の発芽玄米に唸る主婦の方々

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私のところの野菜やお米を出している小田急線相模大野駅前のお店サガミックスでは月に一度野菜の朝市を開きます。今日は一年半ぶりにそこへ出かけて行って、円熟米のPRをしてきました。

円熟米の発芽玄米を小さな塩おにぎりに握って、33個用意して、お客さんに試食してもらいました。お店ではお客さんの反応がとても面白かったです。1時間半の間に38人前後が試食してくれましたが、9割がたは家庭の主婦でした。食べてから、たいてい「味付けは?」と聞くので、「塩をちょっとまぶしただけです。」と答えると、面白いことに、その言い方が似ていて、なんというか、ちょっとウーンと唸るような感じで、お腹から出すような低い声で「おいしい」と言うのです。深い所でジーンと感じているのがなんとなくわかります。なんとその方たち全員が「おいしい」と、感想を述べてくれました。

そこで、「これは有機栽培のお米で、一年間倉庫で熟成させたお米なんですよ。」と言うと、みなさんさらに一段深みに沈んでいくような感じで、「そうなんですか。」と静かに驚かれていました。多分味わったことのない味で、しかも聞いたことのない話しだからじゃないでしょうか。そこにわたしのほうで付け加えて、「一年たっても、古米じゃないんですよね。」と笑顔で言うと、皆さん〈ほんとにそうだわ〉と言う表情で頷かれていました。

その後は、発芽玄米の作り方を質問される方がとても多かったです。最後に円熟米のチラシをお渡しして、「お米はあちらに置いてありますので、よろしかったらどうぞ。」と伝えました。そうやっておにぎりが全部さばけて、終わった時の私の気分としては、「やったあ!」という感じですよね。円熟米の良さを知ってもらえて、本当に出て行ってよかったと思いました。

最近、「大家族」の新米が収穫できたので、新米でも発芽玄米にして食べてみました。それも確かにおいしいですね。しかし、「待てばもっとおいしくなる」と言う印象を拭えません。そして、やっぱり、新米よりは円熟米の発芽玄米の方がおいしいのです。

みなさんもどうぞぜひ一度円熟米をお試しください。間違いなく、一年熟成させたお米ならではの味があって、その良さが発芽玄米にするととてもよくわかると思います。
玄米5kgで 3,450円
白米・五分搗き米  3,720円
送料 関東・東北・関西まで 450円
それ以外は650円です

コンバインを考える その2

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コンバインは効率化と合理化を追求する現代稲作農業の革命児であり、救世主であり、最高傑作です。
しかし、私のところでは、体力の限界まで、あるいは時間の許す限り、コンバインは使いません。なぜかと言うと、大家族の設立の最大の目的は「市民と力を合わせて食糧危機を乗り越える」ことにあるからです。私は食糧危機は近いうちに確実に到来する不可避な事態だと捉えています。しかも、地球温暖化に伴って世界規模での異常気象が激化しつつある現在、食糧危機は一度だけではなくて、何度でも繰り返し生じることになっていくだろうと考えています。現代農業は石油依存農業なので、石油の輸入が途絶えたらたちまちにっちもさっちもいかなくなります。そこに世界的な食糧需給のひっ迫が重なったら、いくら金を積んでも、食糧は手に入らなくなるでしょう。泥沼化するシリア情勢が引き金となって、中近東戦争が勃発し、各国や投資ファンドなどが食糧の囲い込みをして、半ば人災でも食糧危機は起こりうるでしょう。この辺のことはもう皆さんも大体ご存知のことと思います。

いずれにせよ、そのように近い将来食糧危機が発生する可能性が高いので、大家族では出資者である市民を守るために、常にガソリンが入手できなくなった時に対応できるようにしておこうと考えています。ですから、今でも手植え、手刈りの田んぼもあります。そして、バインダーと脱穀機なら、コンバインよりはるかに石油消費量が少なくてすむので、それを基本にしています。
なお、「やってみ田んぼ」(田んぼの体験農園)を始めたのも、一般市民の中にも食糧危機に備えて自分の米は自分で作りたいと考えている人が増えているので、その夢の実現のために農家としてできる限りの協力をしたいと思って開設したものです。「やってみ田んぼ」では、一人で最大1反百姓、5畝百姓になることができ、すると1家族の一年分の米は十分確保できると思います。

コンバインを考える その1

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稲刈の佳境を迎えて、今週は稲作に関する文明の利器の最たるコンバインを使っています。
コンバインの操作はさほど難しくなく、乗っていて楽で快適で、また楽しいです。調子が掴めたら、どんどん速度を上げていくと、見る見る間にきれいに刈れていって、胸がすく思いです。後で写真なんかを見ると、我ながら格好いいなと思います。バインダーでトコトコ歩いている写真とは別格ですね。こういう機械に男はすぐ弱いですね。あはは。

コンバインは現代の米作りになくてはならない必需品です。稲刈り、脱穀、藁の裁断や結束を同時にやってのけ、重い米袋を一切担がずにトラックに籾を移送してしまう、一台数役もこなす優れものです。(私のは古くて、その機能がありませんが。)先にご紹介したバインダー使用による稲刈りと、その後で行う脱穀機による脱穀と比べて、その効率は数十倍から数百倍にもなります。ですから、ヘクタール単位で米を作っている農家にはほぼ確実にコンバインがあります。何十ヘクタールも米を作っている農家は6条刈り、7条刈りの超高性能コンバインがあっても不思議ではありません。それ1台で価格は1000万を遥かに凌ぎます。スーパーなどで普通に売られているお米はまず間違いなくコンバインで収穫されたお米です。

大豊作の稲

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2条刈りバインダーをてこずらせた大豊作の稲.こんなに長いんです。もしかしたら新記録かもしれません。

原因は、殿様苗。生命力の高い苗作りを目指していて偶然できあがった、非常に優秀な苗です。ただし、稲が大きすぎると倒れてしまいがちで、必ずしも良いとは言えません。
実は、多年草化した田んぼの稲も「殿様苗」でした。