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親しみを持って触れ合えば、刺されない

畑では時々スズメバチを見かけます。その大きさや優れた飛翔能力、そして強力な歯から察せられるのは、虫の名ハンターだろう、きっとたくさん虫を獲ってくれているだろうということです。

今日は大根の葉にいたので、

「ちょっと手に乗ってちょうだい」

と頼んだところ、始めは逃げていましたが、

先回りして掌を広げていたら、ちゃんと乗ってくれました。

近くで見ると可愛いもんです。

触手をせわしく動かしなら、よちよち歩きをして、私の手が気に入ったのか、中々離れてくれませんでした。

でも、そんなに遊んでいる時間がなかったので、また大根の葉っぱに乗り移ってもらいました。

スズメバチは、民放テレビで毎年夏になると全面的に悪者扱いされて、スズメバチハンターに一網打尽にされる特集が組まれています。それらは不必要なまでに恐怖心を煽っていて、

スズメバチに対するひどい誤解を生んでいると思います。

子供のころ、よく農家の軒下にスズメバチの丸い大きな巣があって、

「かっこいいなあ!」と憧れました。玄関にスズメバチの巣を飾っている家もありましたね。

農家はスズメバチの役割を良く知っていたから、軒下に巣を作られても決して除去したりしなかったんですね。

そして、もちろん敵意も恐怖心も持たなかったら、スズメバチが農家を刺すなんてこともなかったんだと思います。

私も毎年のようにスズメバチと遭遇しますが、いまだに一度も刺されたことはありません。

ただ、警告されることは少なからずあります。耳すれすれにすごい速さでブーンと飛んできたときはきっと警告しているんだと思います。そばに巣があるか、何か近づかれては困ることがあるんでしょうね。そういう時は周りをよく注意して見て、スズメバチの巣がないか、彼らの邪魔をしていないか気を付けます。

スズメバチの針は毒があって、刺されるととても痛いそうですね。しかも、2度刺されると死ぬと聞きます。そんな恐ろしいハチなのかと思ってしまいがちです。しかし、そう言う人ってどういう人なんだろうかと、逆に知りたくなります。街中を歩くのと同じような気分で歩いていれば刺されるなんてことはないように思うのですが。

なお、写真はコガタスズメバチです。性格は穏やかなようですが、毒性の強い針を持っているそうです。

でも、きっとスズメバチからすれば、今の人間の方が何倍も恐ろしい毒を持っていると思うんじゃないでしょうか?

多年草化した稲の驚くべき技

4才のサトジマン 巖は何と17本もある 

写真は今年多年草化した稲の中で最も穂が多い稲株です。刈るには余りに厳かすぎたので、祈りを捧げて、根っこごと掘り出させてもらいました。標本として活用するためです。

この稲は一株としては幅がとても広いのが特徴です。

この稲株は、おそらく今年の日本中の稲の中で最も穂の数が多い稲ではないかと思います。穂の数日本一の稲!  なにしろ、穂が178も付いているのですから。

実は、この稲株は地下茎を出して15センチくらい離れたところで新芽を出して、子株となり、親株、子株双方がそれぞれ90本ぐらいに分げつした結果、これほどまでに幅が広くなったのです。

「稲が地下茎を出すだって? そんな馬鹿な!」

と思われる方もきっと大勢いるに違いありません。

しかし、多年草化 = 野生化 でして、イネ科の仲間には竹や葦のように、地下茎を出してどんどん生息域を広げるものがいます。多年草化した稲にもそのような能力の備わったものが3割程度見受けられます。

ここではたった1本地下茎を出しただけで、このように巨大な株になりました。だとしたら、2本出したら、3本出したら、・・・と、空想、妄想が広がります。そして、ワクワクドキドキ感が止まらなくなるのです。

令和5年度の稲の多年草化栽培研修会 募集を開始!

お陰様で今年は大望の『稲の多年草化栽培』の本を出版することができました。それで日本全国でこの栽培方法に関心を持っている方々に、いまだ誰も考えたこともないような潜在的な能力が稲に備わっていることや、その能力を引き出せば、今までとても大変で素人にはできないと思われていた米作りが素人でもできるということを知っていただくことができました。

稲の多年草化栽培はまだまだ開発途上にある技術ですが、年々新しい事実や成果が上がってきていて、決して夢物語ではありません。それどころか、稲の潜在的な能力にはますます興味をそそられていて、目指すのは挑戦心旺盛な日本各地の市民の皆さんと連携し、協力し合って、その土地に合った品種や栽培方法を見つけ出すことです。

この研修会は、そのような未知の世界を探訪してそれを見つけ出すという、とてもワクワクドキドキする探検旅行のようなところがあります。

最終的なゴールは本にも書いたように、日本各地で田植えはせず、草も取らず、肥料も与えず、するのは田んぼに水が入っているのを確かめるだけ。そして、稲穂が頭を垂れたら、収穫する。このような栽培ができるようになることです。

日本各地で多くの挑戦者がそれに挑めば、きっとそれは実現できると信じています。先入観も固定観念も専門知識もない市民だからこそできる挑戦です。ぜひ一緒にこの探検旅行に付き合っていただきたいと思います。

詳しくは合資会社 当ホームページ「稲の多年草化栽培」をご覧ください。

一点のみ去年と異なるのは、研修回数が1回増えて全10回となったことです。年々稲の多年草化に関する知識や成果が増えてきているので、9回では十分説明し尽くせなくなってきたためです。

第2回 稲の多年草化栽培 全国集会

みんなの力で、全国の市民の力で「稲の多年草化栽培」を完成させたいという強い思いがあります。

それで、今年の私の研究や実験の結果と成果の発表と、新規に取り組みを開始した挑戦者の方々の体験発表の場を設けます。

それに加えて、今回はつい最近公開された、正にこれぞ真打!とでも言うべき「大地再生農業」を紹介する映画『To which We Belong』 (和名 『君の根は』)を上映します。そして、「和み農」や「稲の多年草化栽培」とどのように繋がっているのかを解説します。

また、長めの昼食時間を取って、参加者同士の交流の場も設けます。

コロナ対策も兼ねて、思い切って800人も入る大会場を借りました!主催者は、私も含めて、全員がボランティアです。そうして、参加費を可能な限り低く抑えました。

とても面白い一日になると思います。一人でも多くの方に地球と調和し、生物多様性を育み、温暖化抑制に大きく貢献し、人々を繋ぎ合わせて和やかにする「21世紀農業」のあり方、そして素人でもできる米作りについて知っていただきたいと思います。

スタッフ一同、皆さんのお越しをお待ちしています。

https://perennialrice2023.peatix.com/?fbclid=IwAR3jf2jmvsKz0K6SuEUOxqLUM9GhIQ-_d6p3T3CBPdfhhvrbZDn6yjX359o

『稲の多年草化栽培』発売開始!

今までの研究と試行錯誤の成果をまとめました。具体的な栽培方法についても詳しい説明があります。なので、この本があれば、ご自身でも「稲の多年草化栽培」に挑戦ができます。全てを手作業でやっていたかつての米作りと比べて、作業時間はおよそ4分の一に激減します。
各章に可愛い挿絵が入っています。

全ページ、フルカラーの写真が掲載されているので、見て楽しいし、細部まで見ることができ、白黒写真と比べて、入手できる情報量が格段に増えます。

49%の絶望と51%の希望

第3章

地球温暖化はヒトの精神的進化の大きなチャンス

私の心の円グラフ

第1章では私がなぜ未来に絶望的になっているのかを述べ、第2章では私がなぜ未来に希望を持っているかの根拠を述べました。そのように、私の未来に対する感じ方は全く相反する二つの思いが混ざりあって、斑模様を形成しています。その割合を敢てグラフ化すれば、49%が絶望の真っ黒な部分と51%の希望の真っ赤な部分からなる円グラフが出来上がります。

なぜかはわかりませんが、私は以前から地球の未来のことが気になって気になってしかたがない性分です。その分、普通の人なら「しかたがないな」と思うだけのようなことでも、軽い失望や落胆で終わるようなことでも、私の場合はショックが大きくて、絶望的に感じてしまうことが多いのかもしれません。特に、生物種の絶滅の話は毎回心が痛み、深い悲しみを覚えます。自分の命が削られていくような痛みを感じます。幸い、まだほんの僅かだけ希望の方が多いために、私はかろうじて未来のために自分のできることをやろうという意志のほうが勝っています。

 みなさんは、どうでしょうか。そのような心の円グラフが描けますか。私のように単純化できる人は少ないかもしれませんね。不思議なのは、10年来、私の心の中では絶望の暗い色も希望の明るい色も、両方とも年を重ねるごとに濃くなっていると感じることです。これは一体どういうことでしょうか。

「命の世界」は逆説に富む

私は情報化時代が絶望感を深め、「命の世界」からの働きかけが希望の色を濃くしていると感じています。3年前に『稲育てと子育て ー 逆境が生命力を発動させる』という題で書いたことがあります。そこでは、生物は食べ物が無いとか、生存の危険があるとか、生命維持にとって逆境にあるときに生命力が全開し、その逆境を乗り越えるために今ある能力を全開させる。そして、それでも足りない能力を種をあげて、世代を超えて、必死で求めるときに、新しい能力が獲得されるのではないか、それを進化というのではないかということを書きました。そして、そのような生命の危険性の無い快適な環境、つまり順境においては、生命力は衰退し、それが長引けば、退化に繋がるのではないかとも書きました。前号で付け足したのは、そのような進化は「命の世界」との相互作用、共同作業だと言う点です。

生物絶滅の危機と「命の世界」の反応

安穏と過ごした極めて快適な現代先進国の生活環境はヒトとしての進化を大きく妨げる要因になっています。それだけでも大問題なのですが、ヒトの反自然な生活様式がいよいよ地球の全ての生物を生存の危機に陥れようとするまでになってしまいました。彼らを生かすも殺すも我々人類の胸先三寸で決まるのです。いや、正確には我々人類でもコントロールできない、臨界点に近づきつつあります。

そのような生物絶滅の危機に「命の世界」はどう反応するでしょうか。その一つの現れと思われるのは、エイズビールスや院内感染を引き起こす耐性菌の発生です。いずれも人間の作った薬という「生物殺傷兵器」では殺せない菌類への変異現象が目を引きます。休眠状態にあった、人類に不都合なウイルス類も多数復活してきました。また、自然界のメス化や不妊症を引き起こす環境ホルモンの存在が明らかになりました。その半分は農薬に由来します。他の生物を大量殺戮する農薬が、巡り巡ってヒトがヒトの子孫を残せなくなるという、自業自得の事態を引き起こしています。これらは偶然の出来事でしょうか。命は「命の世界」と繋がっていますから、「命の世界」を破壊するような行為は自らを滅ぼす行為になるのは自明の理です。それを悟らせる働きが強まっています。

 達観すれば、38億年の叡智の結晶である「命の世界」は愚かな人間の一時の戯れで完全に滅びることなどありえません。我々の想像を超えた強かさを備えていることに何の疑念も湧きません。人類こそが滅びの瀬戸際にいるのだという考えに全く同感です。

利己的な欲望から利他愛の人類へ

地球温暖化阻止に向けて、世界ではCO2を始めとする温室効果ガスを減らす努力を世界規模でやらなければいけないという共通認識ができつつあります。しかし、それは今起こっている事態の本質とは直接の関係はありません。第1章で指摘したように、地球温暖化をもたらしたのは、先進国が利己的な欲望を大胆に開放したことに根本的な原因があります。私たちが温暖化問題から真っ先に学ぶべきは利己的な欲望は地球とヒトの精神的な進化にとって非常に大きなマイナスだということです。そして、第二には、欲望の本質を正しく見極めることが大切です。ヒトの欲望には利己的な欲望だけでなく、共生本能から発する利他愛もあります。他人の不幸や苦しみに同情し、人の思いやりに共感する心や、困っている人を助けたい、弱っている人を救いたいなどという欲はヒトの精神的な進化を促進する欲望だと言うことができます。第3は、そのような共生本能を目覚めさせて、利他愛の人を目指し、同時に調和、感謝、謙遜、礼節、質素、誠実、理想、創造などの精神的な形質を高める努力をしていかないと、人類は温暖化以外の様々な地球規模の問題、例えば、異常なまでの貧富の格差の問題でも破局を迎える日は遠くありません。要するに、CO2だけに目を奪われてしまうと、進むべき道を誤ってしまいます。それらは全て「いのちの世界」が人類に自己愛や自己中心主義を克服して利他愛と共生の人類に昇華を促してるサインと受け止めることができます。

今すぐ、思い切ろう、決断しよう

凡人である私自身、この15年間にそのようなことをうっすらと感じて一体何度「生き方を変えよう!」、「自然の側に立とう!」と決断したことでしょうか。それでもこの有様です!しかし、その決断がなかったら、私には6反の広さの畑や田んぼすら与えられなかったかもしれません。そこでは自信を持って生き物との共生を実現しつつあるということができます。そこは名も無い微生物から、虫から小動物まで、様々な生き物が天文学的な数で命を生き永らえることができる避難所兼楽園になりつつあります。それは私にとって、限りない喜びです。畑を草地の自然環境と捉え、田んぼを水辺の自然環境と捉え直すだけで、農地再生と環境再生を同時に行える、とてつもなく大きな可能性が見えてきて、希望の色も濃くなりました。

(注:2009年6月時点で耕作地は1.4ヘクタールになりました。)

 ですから、どうぞみなさんも、まだなら、早く思い切ってください。できれば今すぐにも、決断してください。精神的な進化の方向を目指そうと。自然の側に立とうと。そうすれば、必ずやみなさんにぴったりの環境が与えられるはずです。それぞれの能力に応じて、それぞれのできる範囲で。地球温暖化の動きは21世紀を通じてもはや不可逆的に進行します。決断が早ければ早いほど、私たちが「命の世界」との共同作業で実現できることもぐっと増えることでしょう。

絶望と希望の狭間で 

そうは言ったものの、 環境破壊や地球温暖化に関する新しく悲しい事実が耳に飛び込んでくるたびに、弱い私は相変わらず落胆し、ときに絶望し、悲観的に未来を見るようになってしまいます。 まだ私の心の49%は絶望が巣食っているのです。しかし、畑や田んぼでさまざまな命の生き様を見せられると、また元気が、勇気が湧いてきます。日本に戻ってから

10年間ずっとそんな繰り返しでやってきました。ですから、みなさんも同じような思いをされるかもしれません。でも、くじけても、絶望してもいいのです。絶望し、また思い直して、気を取り戻して決断してと、繰り返す中でも不思議と精神力が培われた気がします。いつの間にか「生き物との共生」を目指した「畑と田んぼ環境」作りでは不退転の気持ちになりました。

十万年に一度の飛躍(=進化)のチャンス?

 今私たちが迎えているこの事態はいったい何万年、何十万年ぶりの事態なのでしょうか。その事態がもたらす未曾有の危機、すなわち逆境が大きければ大きいほど、私たちヒトという種にはそれに応じた大きな精神的な飛躍〈=進化〉が待っているのではないでしょうか。年を重ねるごとに困難さを増すであろうこれからの世界で、目指すべきは精神世界を豊饒にすることです。一人一人にその選択が迫られている、とんでもない時代が到来しました。 私は一日一日、この命あることに感謝して生きて行きたいと思います。             (完)

49%の絶望と51%の希望

          2008年1月8日    小川 誠

第2章 

「今ここに命あること」が希望である

神秘に満ちた生命の世界

生きることの楽しみは人それぞれ千差万別でしょうが、私は生命の神秘を見詰めることが楽しみの一つです。生命は見詰めれば見詰めるほど神秘に満ち、不思議に満ちています。今年孫が誕生して、日々その変化と成長の姿に接していると、非常に明確な一つのメッセージが伝わってきます。それは、「生命の誕生と日々の成長は限りない希望である」という「命の世界」からのメッセージです。生まれたばかりの赤ん坊は植物状態に等しく、しかも自分で自分の身の安全を守ることすら全くできない、無防備で無能な存在です。できることは泣くこと、おっぱいを吸うこと、眠ること、そして排泄することぐらいです。これはどうみても進化の大失敗作です。しかし、このあまりに無防備で、無能で、母親に100%その生命の維持を依存した存在を前にすると、私たちはその生命をなんとしても守り、育てていきたいという衝動に駆られます。それは無条件にそう感じてしまいます。私たちの命がそのように感じさせるのです。それは理屈でも、義務感でも、思想でも、道徳意識からでもありません。

地球上のあらゆる生命現象界を捉えて「地球生命の世界」とか、もう少し縮めて「命の世界」と呼ぶならば、個々の命は「命の世界」と繋がっている。ヒトは心を澄まし、耳を澄ませば、「命の世界」の思いを感じ、その声を聞くことができる。

赤ちゃんの適応能力欠如の意味

 さて、その植物状態の赤ん坊が日に日に成長していく過程は興味が尽きません。それは私からすれば、まるで部品だけ組み立てたものの、回路がでたらめに配線されたために手足がとんでもない動きをするロボットのようです。手がまともにおもちゃをつかめるようになるだけでも5ヶ月も6ヶ月もかかるのですから、不器用極まりません。人間の赤ん坊だけがなぜ他の動物と違って、これほどまでに不完全な状態で生まれるのでしょうか。これが進化の頂点に立つヒトという種が自ら選んだ選択でしょうか。どう考えてもそうとは思えません。ただ事実においてヒトという生物はその生命の誕生の初めに母親とその家族から無限と言えるほどの手間ひまをかけて面倒を見てもらい、愛情を注いでもらわないと、ヒトとしてまともに成長できません。そのような大きな回り道をするように仕組んだのは誰でしょうか。私は「命の世界」の仕業だと思います。それは神と呼んでもほぼ同義かもしれません。

ヒトの進化に「命の世界」は深く関与している。

興味尽きない擬態

枯れ葉の形にそっくりな甲羅をもった熱帯の虫、ランの花そっくりの色と形をした熱帯のカマキリ、木の枝そっくりの形をしたナナフシなど、世界中の虫の中には実に見事に周りの物や生き物にそっくりの色や形をした物まね名人がいます。私はどうやって彼らはそのような形態や能力を獲得できたのか、昔から不思議でなりませんでした。学校で習った、突然変異と適者生存(自然淘汰)の法則だけでそのように進化したという説明ではどうしても納得できませんでした。なぜなら、彼らの真似の仕方は絶妙で、その姿は、どれも巧みの世界の熟練工にしかできないような芸術作品だからです。それがただの偶然の積み重ねで起こったとは到底思えません。例えば、ランそっくりのカマキリは自身を鏡に映さなくてはそっくりかどうかわかりません。それをどうやって知り、どうやって子どもがランそっくりになるようにしたのでしょうか。私は「命の世界」が鏡を提供し、そっくりに整える理髪師の役もしたのだと思います。つまり、擬態はその生き物の“願い”を知り、その願いを実現しようとするただならぬ“努力”を知った「命の世界」が手を貸して、DNAに働きかけて実現したのではないでしょうか。

地上のあらゆる生物の進化はその生物と「命の世界」の相互作用、共同作業によって起こっている。

これが進化の真実ではないかと感じています。

ヒトの進化の方向と現代人の方向のずれ

ヒトの話に戻ると、「命の世界」との相互作用で決められた進化の方向はと言えば、これまた他の生物とは大きく違って、ヒトは明らかに地上環境への完全な適応を目指してはいません。誕生の初めから、私たちは環境不適応の極みを演じています。その意味は一体何でしょうか。やはりヒトという種は地上的な様々な制約、ある意味で逆境の中でほどほどに衣食住の満たされた生活環境を作り、その上でどのようにして愛とか、調和とか、理想とか、創造とかいった、精神的な形質の完成を実現するかを課題として与えられた生物のようです。その点で、ヒトは「最適な環境」という概念を必要としない、唯一の生物かもしれません。ヒトにとって、生活環境は精神的な進化のために必要な物質的、社会的な制約や条件なのです。現代の先進国の侵した大きな過ちは、自然環境を大規模に破壊して、ヒトにばかり好都合で人工的な最適な生活環境を作りあげ、物資的な豊かさを人生の目的とする世界を作ってしまったことです。それは、ヒト本来の進化の方向から大きく逸脱しています。今、起こっている温暖化などの地球の諸問題は、そこに根本原因があると気づかねばなりません。

「命の世界」がヒトに託したのは、自然と調和した生活環境で、精神的な形質の向上と飛躍(進化)によって精神世界を豊饒にすることである。

「命の世界」は無限大の情報倉庫

「命の世界」は地上に生命が誕生した38億年前から今日に至るまでの連綿たる生命のリレーが行われている世界です。そこには一瞬たりとも命が途切れたことはないのです。その意味は非常に重要で、私たちヒトもその生命のリレーの中で生存の為に必要なもの(能力や形質や智恵)を全て遺伝情報として受け継いできています。発生学がそれを証明しています。「命の世界」にはそのような無限大ともいえる地球の歴史と生命の情報が保管されています。だから、ヒトという種はかつてあったであろう全ての地上の出来事には十分対応していけるだけの智恵を自らのうちに持っているはずです。それが呼び出せないなら、「命の世界」に意識を向ければ、そのような情報を自らの生命感覚で捉えることが可能だと思われます。

「命の世界」の智恵を引き出そう

環境大破壊の時代にあって、日本を含む先進国の人々が最優先課題として取り組むべきは、「命の世界」との繋がりを復活させて、その智恵を引き出すことです。そうすれば、必ずや山積する人類の諸問題に解決の糸口が得られることでしょう。いや、すでに世界中で多くの人々がその智恵を蘇らせたり、引き出したりして、それを生活の中で生かして日々を静かに送っているか、あるいは活発に、未来に希望を持って活動しています。「命の世界」と繋がりを取り戻すのはその気になれば、さほど難しくありません。前述のとおり、心を澄まして、自身の命に、体や心の声に耳を傾け、自身も本来その一部である自然界に耳を傾けることです。土と触れあうことも有意義です。霊性を高める業もいいでしょう。そうして、生命感覚を呼び覚まし、命の全身感覚を蘇らせることが大切です。

「命の世界」としっかりした繋がりが復活すると、周りで何が起ころうとあまり動じなくなります。なぜなら、そういう人たちは自分の力量を心得ていて、それぞれの能力と与えられた環境において自己の精神的な形質(=個性)を向上させるというヒトの進化の方向に沿った生活をして、ぶれなくなるからです。

命は命自ずから進むべき方向を知っている。

今ここに命あることが希望である

「命の世界」は常に進化の過程にあります。進化とは、“人生にとっての意味”という視点から言うと、希望です。今私たちが生きていること自体が進化の実現した姿であり、次への一過程でもあり、進化の意味は“よいほうに変わることができる”という希望です。

「命の世界」とは今生きて命あるものを無条件に全面的に生かそうとする宇宙の働きのことだ。

その働きが希望の本質です。今生きていることは、そのまま、今生かされているということ。そのことが深く感じられると、涙が流れて止まらなくなります。

49%の絶望と51%の希望

                   2008.1.7

                         小川 誠

第1章

利己的な欲望が未来を絶望的にする

地球温暖化は世界の共通認識になった

ブラジルで世界初の地球環境サミットが開かれたのは1992年でした。それによって、世界の人々は環境問題が地球規模で起こっていることを知らされました。それから、13年後の2005年はアメリカで巨大台風カトリナが甚大な被害をもたらした年ですが、その年は地球温暖化が世界の人々の共通認識となった年ではないか思います。その年に、世界中の国々が温暖化は自然現象ではなくて、人為によってもたらされ、今後一段と加速化する、地球規模の、人類の生存を脅かす深刻な問題だという共通認識を持ったのです。

温暖化情報タブーの封印が解かれた

私が見る限り、その前と後では大きな変化が見られるような気がします。まず世界の異常気象に関する情報が様々なメディアでどんどん提供されるようになりました。まるで封印が解かれたかのように。そして、政府や国の指導者も積極的に温暖化防止について発言するようになりました。  地球シミュレーターが50年後、100年後の、ぞっとするような地球の姿を予測して教えてくれるようになりました。そして、人々は「温暖化は待ったなし!」という言葉をあちこちで見たり、聞いたりするようになりました。こういった変化は好ましいものであり、温暖化阻止に向けて、日本はやっと国を挙げて真剣に取り組みを始めそうな気配が出てきました。

『地球はあと10年で終わる』

しかしながら、現実に目を向けると、京都議定書の

議長国でありながら、日本が公約した2012年までにCO2を6%削減することは達成不可能なばかりか、すでに+8%と、相変わらず温暖化促進路線を踏襲しているのは周知の事実です。便利、快適、効率的、清潔が当たり前の現代生活に慣れてしまった私たちが温暖化を促進していることは知っていても、そう簡単にそのような生活様式を切り替えるのは簡単ではないと、だれもが認めるところです。政府も口先とは裏腹に実際にやっていることは相変わらず経済成長優先、つまり、CO2排出増加是認の政策の継続です。

 しかし、この地球は文字通り「待ったなし!」なのです。今年の1月に出版された本で、『このままでは地球はあと10年で終わる』(洋泉社)という本をつい最近手にしました。その冒頭には太文字で次のような文章が載っています。

「 手遅れ? 

  それとも、まだ間に合う ?

脅しなどではなく地球は今、未曾有の危機に直面している。地球の平均気温が、あと摂氏二~三度上昇するだけで、パニック映画のような地獄が地球にもたらされることになるからだ。

 この警告は、地球温暖化研究の第一人者である

NASゴッダード宇宙研究所のハンセン博士によってなされたもので、人類の努力によって地球温暖化を阻止できるのは後10年。何もなされなければ、その後は、どんな手を打っても破滅への道を回避できなくなるというのだ。」(P.14)

どうしてそうなるのかがこの本では詳しく述べられています。その中からほんの一例だけを挙げれば、西シベリアの巨大な永久凍土は7000億トンものメタンを封じ込めていますが、すでに融解を始めていて、ある科学者によるとその温暖化プロセスは「すでに不可逆だ」そうです。ご存知のとおり、メタンはCO2の20倍以上の温室効果がある物質です。また、別の憂慮すべき事実として、IPCCの最新の報告で2050年には北極海の氷が夏場には40%は解けてしまうとされていますが、なんと既に今年の夏それが現実になったというのは、新聞でも報道されました。

温暖化は加速化し、人類はモタモタ

このように、私たちの認識を覆す、温暖化の新しい事実が次から次へと出ているのが現状です。“封印”は解かれたものの、まだまだ未解明のことは多く、現実は私たちの想像を超えたところまで進んでいるのが実態と考えおくべきではないかと思います。そして、温暖化の進展が加速度をつけ始めているのに対して、私たち人類の対応の遅いことといったら、目を覆いたくなるばかりです。

 京都議定書の後をどうするか、やっとアメリカが重い腰を上げたと思ったら、今度はリーダーシップ争いを展開しそうな気配ですが、先進国同士の間だけでなく、開発途上国との間でも議論の溝は当分は埋まる見込みもなく、モタモタしていれば、あっという間に

最後の「待ったなし!」の10年は過ぎてしまうことでしょう。『国の理想と憲法』でもこのような国家エゴイズムがぶつかり合っている限り、人類が抱える未曾有の問題を根本解決することは不可能だと述べていますが、全くそのとおりでしょう。

人類は地獄を見る

「『地球は金星のような灼熱の星になる』。こんなショッキングな予言が、理論物理学者の世界的権威であるスティーブン・ホーキング博士の口から飛び出したのは2006年6月21日、北京での講演中のことだ。最近の環境問題についての意見を求められた   ホーキング博士は、『大変な危惧を抱いている』と述べた後、『(このままでは)地球の表面温度は250度Cに達し、硫酸の雨が降るだろう』と予言したのだ。」

(同書、冒頭 P.16)

悲しいことですが、私は今後年を重ねるごとにこのような悲観的な予測や見通しがあちこちから出されることになるだろうと、覚悟しています。もちろん、私自身がその“不都合な真実”の中でのた打ち回る可能性が十分あることも覚悟しなければと、自分に言い聞かせています。いつどこで、どんな場面でそのような事態に陥るのか。様々な可能性があると思います。そういう想定をするのはもちろん楽しいことではありません。しかし、私は意外とドライで、起こるであろうことを見すえることはさほど辛くはありません。日本人は総じて事実を見詰めて、そこから未来を冷徹に見通すよりも、「しかたがない病」になって、適当にしか考えない人が多いですね。そうやって自分達の子や孫の未来を確実に奪っているのです。ですから、私たちの孫の世代はいつの日か修羅場と化した日本の大地の上で、我々の世代を指差して、「刹那主義、快楽主義におぼれた歴史上最も無責任で、愚鈍な世代」と徹底的に非難することでしょう。

利己的な欲望が未来を絶望的にする

温暖化ばかりでなく、温暖化をもたらしている様々な環境問題や、それと複雑に絡まって、世界には水、エネルギー、食糧、貧困、飢餓、テロと戦争や紛争、エイズ、感染症など、実にさまざまな難問が山積しています。世界経済もその脆弱さが露呈しています。ですから、これからの世界は何をきっかけに連鎖反応が起こって、地球規模で未曾有の緊急事態が発生するか、その可能性は間違いなく高まりつつあり、しかも予測が困難になってきています。

それもこれも、その根本原因を探れば、20世紀の資本主義経済が人間の利己的な欲望を大胆に開放したことにあると思っています。それまではどの社会でもそれなりに宗教や共同体や地縁血縁の絆などによって人間の欲望は随所でブレーキがかけられていたために、欲望が暴走することはまれでした。ところが現代は世界中で欲望と欲望が激しくぶつかり合い、頻繁に暴走しています。とりわけ、金(かね)に対する飽くなき欲望が人間社会を秩序立て、自然生態系を守ってきた倫理や道徳を片っ端から破壊しつつあります。その欲望と利己主義(エゴ)にブレーキをかけられない今の世界は、必ずや近い将来破局を迎えるに違いありません。利己的な欲望の対極にあるのは、利他愛と共生本能ですが、それが欲望に取って代わらなければ、そのような破局は何度でも起こって、人類社会を壊滅させることでしょう。そのとき地球環境はぼろぼろで、地球の生物も絶滅に瀕していることでしょう。

皆さんは、あと10年以内に、人類は根本から変わることができると思いますか。

令和4年度「稲の多年草化栽培研修会」の募集を開始します。

「枯れたはずの稲株から新しい芽が出ている!これはいったいどうしたことか」7年前、稲が勝手に大量に多年草化した田んぼを見て、「これはもはや無視するわけにはいかない」と、稲の多年草化現象がどうして起こるのか、指導者も参考書も情報もない中、たった一人、手探りで研究を始めました。

枯れたはずの稲株から新しい稲が再生して成長を始めた!

様々な試行錯誤を経て、今、ようやく「稲の多年草化栽培」と呼べるところまでやってきました。栽培方法の基本が固まってきたのです。 稲の多年草化は、無農薬・無化学肥料で、かつ不耕起・冬期湛水の田んぼで生じる、極めて稀な現象です。しかし、それは栽培技術化できることがわかってきました。

見事に稔った1歳のサトジマン

来年度は年間を通じてその基本的な栽培方法を実践的に学んでいきます。そして、同時に今年仕掛けた幾つかの実験がどのような結果を生むか、一つ一つ確認していきます。

 どこにも教科書も参考書もない「稲の多年草化栽培」の世界では常識や先入観や固定観念の眼鏡を外して、まっさらな目で、多年草化した稲を、田んぼを、そして環境を見て、感じて、その微妙な変化を見逃さないことがとても大切です。この基本的な態度は今後も貫いていきます。そういう中からきっと来年も新たな発見がたくさんあることでしょう。

Q1 ”4歳の稲”は誕生するか

たわわに穂を垂れた”3歳の稲

Q2 一番寒い田んぼでもイセヒカリとヒトメボレは多年草化するかQ3 いもち病にかかったサトジマンでも多年草化するか等々、講師にもわからない質問の答えを稲自身の生育の様子から学び取っていきます。なお、関心を持つ方が増えているので、参加ご希望の方は早めに申し込まれるよう、ご案内申し上げます。

詳細は「稲の多年草化栽培研修会」コーナーをご覧ください。

小川