冬期湛水の田んぼ際に今、こぶしの花が咲いています。
この花が咲くころ、水の中ではミジンコが猛烈に
動き出します。カエルも目を覚まします。つばめが
やってきます。そうして、自然が目を覚まします。
すると、冬の間眠っていた私の体も…
春の目覚めを感じるのです。
小川
私にできる平和運動ってなんだろう?
よくそう自分に問いかける。
平和な日本でできる平和運動って何だろうかと。
今、持っている答えはこうだ。
一番大切なことは戦争で実際何があったのか、
その事実を学び続けることだ。
それは一年にたった一回でもいい。
例えば、
8月15日に第二次世界大戦で日本軍がどこで何をしたのか、
アジア諸国は日本軍によってどのような災禍を被ったのか、
アジアの民衆はどのような苦痛と恐怖に苛まされたのか、
日本国民は、どのような我慢を強いられたのか、
沖縄市民はどのような犠牲を強いられたのか、
残虐な軍事行動の中にあって、
誰がどのように高潔で、人道的な行動を取ったのか、
たった一つでいいから
自分がまだ知らない新しい事実を正確に知ることだ。
それを知ったなら、
こんなことは二度と繰り返してはならないと、
自分に言い聞かせることだ。
その文字を自分の魂に刻むことだ。
それだけでも、10年生きれば10回の戦争追体験ができる。
こんなことは二度と繰り返してはならないと、
10回自分の魂に深く刻み込めば、
そこに反戦のエネルギーが蓄積されるようになる。
20年続ければ、刻むたびに痛みを覚える私の魂の
反戦エネルギーはさらに倍増する。
そうすれば、
いざという時に、
私の魂に刻み込まれた反戦エネルギーは
必ずや毅然として、猛然として、
断固たる戦争阻止の行動を取ると
信じている。
そのときが私の平和のための実力行使の時だ。
機会があって、長崎へ行ったついでに、原爆資料館に立ち寄った。その前に立つ像に心が引かれた。
原爆で犠牲になった人たちの中に、5800名の児童、工場に勤務していた1800名の生徒、そして百数十名の教師がいたそうだ。その人たちのために建てられた像だ。
小川
大家族では食育に貢献するという思いで、 ①生命力があって、 ②おいしい お米や大豆や野菜作りを心がけています。人間はもちろんのこと、他の生き物までも命が生き生きするような米作りを心がけるという想いで、「いのちいきいき米」と名付けました。
いのちいきいき米は通常価格は
玄米5kg 3,720円(消費税込み、送料別途)です。
今回、お試し価格として、初めての方に限り、5月末まで1割引きで提供させていただきます。
お試し価格
玄米5kg 3,340円 五分搗き・白米5kg 3,670円 また、初めての方に限り、半年(10月まで)25㎏以上ご注文予約の場合、5%引きとさせていただきます。 品種は神奈川県農業技術センターが推奨する さとじまん です。大粒で、香りがとてもよく、コシヒカリの血を継いで、味もとてもよいです。
送料は以下の通りです。
●関東、信越、東海、宮城、山形、福島 450円
●関西、中国 650円
●四国 750円
●九州、北海道 850円
ご注文は「いのちいきいき米」のページにあるメールで、住所、名前、電話番号、注文内容を明記のうえ、ご連絡ください。折り返し、振込先を明記した注文書をお送りいたします。
振り込みを確認次第、商品を発送させていただきます。
ご不明の点は、遠慮なくお問い合わせください。
合資会社 大家族 小川 誠
きのうのいのちいきいき栽培研修会では、化学農法(慣行農法)を実践する農業者と有機農法を実践する農業者は話が噛みあうのか、同じ土俵で相撲が取れるのかという点について、私の考えを述べさせてもらいました。ずっと昔からそのことについて考えてきましたが、私は次のような結論を出しています。
人間の世界では、20回農薬をかけていた農家が10回に減らしたら、「特別栽培」と表示することができます。それは「安全で安全な作物」です。4回農薬をかけていた農家が2回に減らしても同じです。一方、一切農薬も化学肥料も使わないで、とても安全な農作物を育てても、有機JAS認証を取らないと、有機栽培とか有機農法とか表示してはいけません。それも「特別栽培」とみなされます。その傍に、「栽培期間中、農薬・化学肥料不使用」と表示することは認められています。ですから、私の有機栽培の作物も「特別栽培」と表示することになります。有機栽培をしているのに、有機栽培と表示できないことに言論統制をされているかのような窮屈さを感じています。農薬を使ってある農作物と同じ枠(カテゴリー)の中に入れられてしまうことにも違和感を覚えます。ただ、そのことについては、ここではこれ以上突っ込みません。
ということで、化学農法農家と有機栽培農家は、心情的に、また理性的に、互いを認め合い、融和を図ることはできます。しかし、ほとんどの場合、本音の部分では、話は噛み合いません。なぜなら、双方が立っている土俵が異なるからです。それぞれの土俵には異なった決まり(ルール)があります。化学農法の土俵には農家中心、農家優先の決まり(ルール)があります。有機農法の土俵には、農家と生き物たちとの共生の決まりがあります。こうして、土俵が違うし、決まりも違うので、話が噛み合わないのです。
では、生きものの側から見たら、どうでしょうか。10回農薬をかける農家が畑に入ってきたら、きっとバッタもミミズも微生物もその足音を聞いただけで震え上がることでしょう。なにしろ、大量殺戮兵器を持った恐るべき敵が侵入してきたわけですから。年にたった1回しか農薬を使わない農家だとしても、彼らは震え上がるに違いありません。 一方、有機栽培農家が畑に入ってくると、害虫とみなされている虫は警戒するでしょう。もしかすると、「自然農薬」をかけられたり、指でつままれたりするかもしれないからです。しかし、微生物や普通の虫や益虫、小動物などは普通に生活を続けることでしょう。彼らはもしかしたたら、有機栽培農家の足音を好感を持って聞いているかもしれません。そして、自然農法で生き物と共生しようと思っている農家が畑に来たら、ほとんど全ての生き物はその農家に「いらっしゃい」と声をかけて、普通に生活を続けるだろうと思います。
このように考えると、生きものの側からすれば、農薬を1回かける農家も10回かける農家も大量殺戮兵器を有する敵です。一方、有機栽培農家は味方か、そうでないにしても許せる相手だと思うことでしょう。生き物たちは間違いなく化学農法農家と有機農法農家を峻別していると思います。彼らからすれば、化学農法(慣行農法)と有機農法の間に懸ける橋は全くないと断言すると思います。
私は、環境の世紀、21世紀は、このような生き物の立場から考えることが非常に大切だと思います。私は「生き物の側に立つ」、「自然の側に立つ」、「生き物の視点で考える」ことを基本としています。
小川 誠
今日から今年で第6回目になるいのちいきいき栽培研修会(「和み農」研修会)が始まりました。
この研修会では終日の場合、毎回2時間程度の講義をしてから耕さない畑と普通に耕す畑と両方で野菜の栽培方法を学びます。両者は栽培方法がかなり違います。だから、最初は頭が混乱します。でも、それを乗り越えると、両者に共通するものが見えてきます。すなわち、土地とは何か、水とは何か、この作物の本性は何か、栽培するとはどういうことかとなどなど、普通より一歩深い世界、一歩踏み込んだ世界が見えてきます。
初回の実習では、農業の基本中の基本、すなわち、鍬で耕すことを体得してもらいます。みなさん、初体験でしたが、3~40分やると、けっこうさまになっていました。耕すことは毎年やりますが、不耕起栽培を希望している人でも、耕した後で聞くと、決まって耕すことは楽しいと言うので、面白いです。
そのあと、じゃがいもの植え付け作業をやりました。最初に耕す畑でやって、それから、耕さない畑でもやりました。その作業のやり方があまりに違うので、みなさん、驚いていました。後者は耕さないので、あっという間に終わってしまいます。
(左は耕した畑で種に土をかぶせているところ。右は耕さない畑で種を植えているところ)
そして、これからどんどん種まきや定植をしていく不耕起の畑で畝を立てました。
普通の畑では左の状態で終わりです。しかし、不耕起栽培ではその上に枯草をしいて、自然な草地に近づけます。
講義では、なぜ耕すのか、またなぜ耕さないのか、農耕文明史の中で考えました。また、なぜ農薬は使わないのか、化学農法と有機栽培の違いは何かなどについて考察を加えました。
研修はまだ始まったばかりです。興味のあるかたはどうぞ次回からご参加ください。
小川
私は農薬を使うことは選択肢にありません。なぜそうなのかと、煎じつめて考えると、理由は二つしかありません。一つは、マネー資本主義が今世界中でやっていることと、現代農業が自然界の生き物に対してやっていることが全く同じだからです。つまり、どちらも弱きもの、声なきもの、言うことを聞かないものを自分勝手な論理で圧倒的な力で叩き潰しています。農業において、大量殺戮兵器である農薬はその象徴です。そうして生まれた弱肉強食の世界は歪みに歪み、狂いに狂っています。それを少しでも元の健全な姿に戻すには、そうやって虐げられ、排除され、踏みにじられた弱者をしっかり守って復活させるしか他に方法がないと思います。つまり、農地は人間の作った屋外作物生産工場ではなくて、自然環境だと捉え直す必要があります。そして、その自然環境を守っていく決意をしなければなりません。その具体的な最初の行動が農薬を使わないことです。だから、環境再生運動として農業を営んでいる私には農薬を使うという選択肢はありません。
ですから、ぜひ消費者の皆さんに理解していただきたいのは、農薬のかかっている野菜を食べるということは、結果的に「強者」の行為を支持していることになります。そして、農薬のかかっていない野菜を食べることは、他にも条件がつきますが、基本的に「弱者」の側に立つことを意味するという点です。
それから、私が農薬を使わないもう一つの理由は単純です。農薬の知識がないから、農薬を使わないのです。自動車の運転の仕方を知らない人がずっと運転しないのと同じです。時に、無知であることはとても良いことです。農薬のような恐ろしいものをちゃんとした知識もなく使うことは厳に慎むべきだと思います。中国野菜が怖いのは、正に何の知識もない農家が自分の経験だけで農薬を使いこなしているのが普通だからではないかと想像します。また、そう考えると、かつて農薬を使ったことがある農家が有機農業に切り換えた場合、様々な場面で大変な葛藤があるだろうと思います。農薬の絶大なる力を知っているからです。
ですから、これから有機農業で就農したいと考えている人は、
「農薬のことは知らない、触れない、使わない」
を三原則として就農されたらいいと思います。
小川 誠
「大家族ではどうして農薬を使わ
実際、その積み重ねで19年やっ
ただ、今のところ、大豆につく虫
小川 誠
3月8日に今年の自然耕塾が始まりました。雨交じりの寒い朝でしたが、ようやく一年ぶりに再建されたビニールハウスの中で講義ができたので、ありがたかったです。
(建設中のビニールハウス)
午前中は不耕起冬期湛水稲作の全般的なことをお話しさせていただきました。そして、午後は雨も止んだので、実習田の田んぼの水の水源を見に行くことから始めました。自分たちが稲を育て、冬季湛水をする水の源の泉を見ることで、「この水をいただいて、米作りができるのだ」と思うと、その泉があることに感謝の思いがこみ上げてきます。
そのあと、今の田んぼの状況を観察しました。すると、もう幻の藻サヤミドロが発生していました。
ミジンコも泳ぎ回っていました。そして、驚いたのは、枯れていると思った稲がまだ生きていたことです。
(すっかり枯れた稲の地上部)
(ところが、株の一部が緑色になっている。まだ稲が生きている証拠)
寒さの中で鍛えるのが自然耕塾の苗作りの基本ですが、その苗の底力を見せつけられた思いがしました。去年、スズメに完全に食い尽くされた田んぼだったので、稲を刈るのも嫌になって自然のままにほったらかしていたのですが、まさか稲がそのような再起の機会を窺っていたとは、知りませんでした。その稲株を一部で刈ったところ、なんと三日後に葉を出し始めていました。春まだ寒いこの時期にです!2度目のびっくり現象です。
(切った株から細い葉が伸び始めている)
さあて、この稲がどうなるか、実りをもたらすか、今年もまた新しいドラマが展開しそうで、わくわくしてきました。
小川