生きて活きて生き抜く意志

 

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(穂をはらんでいる茎が日に日に起き上がってきて、まるでジャンプしようとしているバッタのように見える。)

大地より 引き抜かれてぞ 標本と
なるは誉れと 解すべきかや

大地失せ 浮き身となりし 我なれど
命尽きても 種ぞ残さむ

 子供たちへ
私は去年の4月に仲間と一緒に苗箱に種まきされて、6月に田んぼに植えられた稲です。種もみの時から冷たい水に漬けられて、田んぼでは耕していないからとても固い土に植えられました。私はそこで死ぬ思いで根を張りました。またそこでも冷たい水にさらされたので、私は我慢し続けていたら、いつしか寒さに強く、たくましい体になりました。秋にはたくさん穂を付けたけど、スズメに全部食べられてしまいました。でも、私は仲間と一緒に真冬の寒さにも堪えることができて、枯れないまま冬を越すことができました。そして、うれしいことに、私は仲間と一緒に今年の春にまた芽を出すことができました。2年目の田んぼ生活は快適で、ぐんぐん株分かれできて、私はとても太くて大きな稲になりました。実もたくさんつけました。ところが、悲しいことにまたしてもスズメに食べられてしまいました。それでも諦めずに穂を出し続けていたら、私の主は私を引き抜いてしまいました。

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(上は普通の稲の株。20本の茎がある。下が多年草化した稲の株。73本もある。)

主は私を標本にするそうです。それは名誉なことかもしれません。でも、私は生きたい。最後の最後まで生き続けたい。そして、種を一つでも二つでも残してから死にたい。だから、大地から離されてしまっても、根っこから土を洗い落とされてしまっても、水がなくても、空気中の水分を吸い取って、私は茎を起こし、天を目指して体を伸ばします。命ある限り、最後まで諦めません。
だから、君たちも頑張って。

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(このような根っこはめったに見られないほど巨大で、逞しいものです。)

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今日、私の家に置いてある多年草稲から受け取ったメッセージです。
元気を失くしている子供たちに、鬱で苦しんでいる人たちに、自分は価値ない人間だと思って死のうと思っている人たちに、病院で病魔と闘っている人たちに、人生の悩み苦しみに押し潰されてしまいそうな人たちに、このメッセージを渡していただければ幸いです。

なお、この稲は明日田んぼに返してやることにしました。
小川 誠

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異常気象に野菜はどこまで持ち堪えられるか

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(オクラは低温と日照不足で蕾が花を咲かせられずに腐ってしまう)

お盆過ぎから関東を襲った長雨、異常低温と日照不足がとりわけ夏野菜に深刻な影響を与えています。オクラは寒くて花を咲かせることができません。ピーマンは体をすくめて実を付けるのを中止したかのよう。いんげんも花は咲いても、実がなかなか大きくなりません。にがうりは大きくなる前に腐ってしまいます。トマトは,茎は伸ばして葉は広げても全く実が付きません。きゅうりは羽虫がたかって、はっぱがぼろぼろ。これでは、実がまともになりません。20年野菜を育ててきて、こんな経験は初めてです。少なからず、ショックを受けています。

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(にがうりは大きくなる前に腐ってしまう)

有機栽培だから、自然農法だから、一寸やそっとの異常気象なら、うちの野菜は大丈夫だろうと思っていましたが、野菜は予想以上に敏感で、繊細で、か弱いことがわかりました。私の栽培方法もまだまだ改善の余地がありそうです。

何が致命的な問題かというと、極端な温度差です。それで、夏野菜はショック状態に陥ってしまいました。その後の悪天候で立ち直りのきっかけがつかめないでいます。

これから異常気象が激化し、極端な温度変化もさらに極端になって行くでしょう。そうなっていったら、野菜の栽培はますます難しくなっていくでしょう。

だったら、ハウスで作ったら?いえ、ハウスはハウスでもういろいろな問題が出ています。ここ数年自然災害で潰されるハウスも増える一方です。野菜工場があるさ!いや、それはままごとに近いでしょうね。オランダで最先端のスマートアグリは?いや、巨大台風で巨大温室がめちゃめちゃになるのが関の山でしょう。
私もショックから立ち直るのに時間がかかりそうです。

小川

健康のために発芽玄米をお勧めします!

2年前から発芽玄米を食べるようになって実感していることは
①柔らかくてとても食べやすい (”玄米噛み噛み修行”からの解放!)
②玄米よりずっとおいしい
③すぐお腹がいっぱいになる(=とても経済的)
④体が軽快で、調子が良くなる
という点です。

発芽玄米については以下サイトがとても分かりやすく解説しています。一度覗いてみてください。

http://www.mfbr.org/hatsugagenmai.html

玄米のこんなにいい食べ方があったのかと、感動しています。自信をもって皆さんにもお勧めできます。

私の大発見は、「いのちいきいき米」の場合、新米より「円熟米」のほうがさらにうま味が増して、感動するということです。

「なでしこ健康生活」という、とてもいい炊飯器も開発されています。
http://www.nadeshiko-club.com/

発芽玄米をぜひご検討ください。

小川

パレスチナ難民を自宅に迎えて

パレスチナ難民の思い出 001

アメリカ同時多発テロから半年後の2002年の春、ちょうど桜の花咲く頃、相模原市の市民有志がパレスチナ難民の子供5人と先生一人、計6人を相模原市にお招きしたことがあった。そのとき、縁あって、私の家(当時は寄宿生活塾 五色塾)で一週間寝食を共にする機会をいただいた。当時パレスチナと言えば、アラファト議長も健在で、テロリストの巣窟のようない悪いイメージがあって、正直私も受け入れには不安がないではなかった。しかし、能天気の夫婦は「どうにかなるよ」とばかり、二つ返事で受け入れた。その1週間は私の家族にとって生涯忘れ得ぬ思い出となった。

パレスチナ難民との暮らし 001

私はつくづく思った。同じ人間がどうして生まれた場所が違うと言うただそれだけの理由で、一方はイスラエルに国を奪われて難民となって40~50年、不自由と貧困と苦痛に苛まされ、繰り返されるイスラエルの爆撃になすすべを持たずに死への恐怖と隣り合わせで、怒りと絶望の渦巻くスラム世界に生き続けねばならない運命を背負っている。一方は何一つ不自由がなく、便利で快適で豊かな現代生活と、夢と希望を叶える機会と幸運に恵まれて生活している。この埋めようのない矛盾に満ち満ちた二つの世界の人間が共に同じ屋根の下で生活をしたのは、何とも不思議な巡り合わせだった。

パレスチナの子供達は少なくとも表面的には全く屈託がなく、むしろ日本の子供達よりずっとエネルギッシュで、私たちの事前の予想を完全に覆した。しかし、聞けばやはりみな親族や親せきを失って、心に癒しようにない深い傷を負っていた。

paresutina 001

(小6の子は、家族の面会が終わるや否や、外に飛び出して、自転車に飛びついた。倒れても、転がっても、無我夢中で自転車を乗りこなそうとした。何とか乗れるようになっても、何かに突撃しないと止まれなかった。事故に遭わなかったのは、奇跡だった。聞けば、難民キャンプではお金持ちの子しか自転車を持っていないのだという。5人中4人が自転車に夢中になった。)

彼らは2週間日本に滞在し、あちこちに招待され、東京見物などもして、物質文明の大輪咲く日本に圧倒されて、パレスチナに帰って行った。帰国直前に聞いたら、皆が私の家で過ごした一週間が一番楽しかったと言ってくれたそうだ。それを後で聞いて、本当にうれしかった。しかし、我が家は彼らのために特別なことは何もしなかった。ただ、一週間同じ人間として暮らしただけだ。同じ人間として。

それは、おそらくヨーロッパ人の妻の人道主義の感覚と、私と子供たちがドイツやマレーシアの生活で知らず体に染みついた人間の生活の元にある感覚だったのだと思う。

その感覚、「同じ人間なんだから」という感覚が今の日本人の間ではなぜか難民問題では麻痺したままだ。

シリア難民の受け入れにドイツを始めとするEU各国が苦労しているのを目の当たりにして、国連が「これはEUの問題ではなくて、世界全体が取り組むべき問題だ。」と世界に協力を求めた。すると、早速オーストラリア、ニュージーランド、カナダなどが難民の受け入れを表明した。しかし、日本政府は沈黙したままだ。国民の間からもシリア難民受け入れの声は上がってこない。
「痛み分け」という、苦労や苦しみを共に分かち合おうとする日本人の美徳は今でも発揮されている。それがどうして難民問題では発揮されないのだろう。日本人は変質してしまったのだろうか。

「私の”難民の友達”の思い出」

アフガン難民

難民支援協会のレポートに「私の”難民の友達”の思い出」が掲載されました。

原文より論点をより明確にしてあります。
「オリンピック招致では日本人の「おもてなし」を大々的にアピールする一方で、日本に命からがら助けを求めてやってくる難民に対しては、政府はもてなす気持ちがさらさらありません。例えば、今日本にいる難民申請者にはほとんどの場合、住む家も食料も与えられていません。昨年の難民申請数は5000人。難民認定したのはたったの11人。毎日2400万人分もの食糧をポイ捨てにしている国で、どうしてわずか1万人程度の仕事もない難民申請者に食糧を提供できないのでしょうか。全く身寄りのない難民にどうして住居すら提供できないのでしょうか。世界が一つになった時代に、多くが難民となることを避けられない時代にこんなに冷酷無慈悲な非人道国家が存在していていいのでしょうか。」
全文は以下をご覧ください。難民支援協会のホームページで日本の難民申請の現状もよくわかります
https://www.refugee.or.jp/jar/report/2015/09/11-1043.shtml

円熟米

円熟米

「いのちいきいき米」は生命力が高く、籾で保存しています。一年間寝かせると、ワインと同じようによく熟成して、円熟したお米になります。そのまろやかな味わいをお楽しみください。戦前まではお米は「いのちいちいき米」のようにみな有機栽培だったので、普通は一年間倉で備蓄して、円熟米をおいしく食べていました。

発芽玄米には新米よりも円熟米の方が甘みが あっておいしいです。市販のお米はほとんどが農薬・化学肥料栽培で、しかも籾ではなく玄米で貯蔵されているため、ほとんど熟成しません。

かぼちゃはごみ場で作ろう!

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畑の片隅に生ごみや雑草を山積みにしています。毎年そこから決まってかぼちゃが芽を出して、あたり一面に広がります。私が真面目に栽培したかぼちゃよりも決まってそこのかぼちゃの方が元気で、決まって実もたくさんつけます。写真は昨日収穫した、身勝手かぼちゃです、なんて言ってはいけませんね。私の技術力不足を補ってくれる、大変貴重な”お助けマンかぼちゃ”だと、感謝して言いましょう。

もう来年のために、今から生ごみを畑のど真ん中にどんどん捨てておきます。そしたら後は何もしなくても、かぼちゃは最高の収穫ができるに決まってます。こんないい決まりは他にはありません。(大笑い!!)

ただ、写真のかぼちゃ、去年は全然別の姿でした。そう、メンデルの法則で、F1かぼちゃが先祖返りしてしまったのです!明らかに、全然種類の違う2種ですね。だから、品種名がさっぱりわかりません。さらに言うなら、私と親しい店の人は、「かぼちゃの種を取って、次の年に撒いても芽が出ないそうですよ。」と親切に教えてくれたものです。生き物のことは、「案ずるより産むが易し」ですね。

多年草化稲の豪快な株と根っこ

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指標としてきた多年草化稲を、ちょっとかわいそうでしたが、今後の研究のために引き抜いてきました。不耕起栽培の平均的な株と比べると、その違いがはっきりわかります。不耕起の稲の根は世間一般の化学農法の稲より発達しています。多年草稲はそれを遥かに凌ぎ、豪傑のひげを思わせるような根になっています。

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そして太い株は73本の茎からなり、不耕起イネの20本の3.5倍です。このような豪快な稲の姿は滅多に見られないと思います。

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小川

 

 

多年草化した稲 8月31日

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いつもご紹介している稲は喜寿モチというもち米の田んぼの稲です。そこの続きの田んぼ3枚にもおよそ50株の多年草化した稲が生育しています。それらもしっかり実を結んで、稲穂が垂れています。品種はさとじまん。香りがとてもよくて、神奈川の大地にはあっている、おいしいお米です。幸い、今年植えた稲に混ざっているためにすずめの集中攻撃に遭わずにすんでいます。これなら収穫に漕ぎ着けることができそうだと、期待が膨らんでいます。

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田んぼからトンボが消えてしまう前に

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(羽化したばかりのアキアカネ(通称 あかとんぼ)

トンボはどこで生まれるのか?実は田んぼが圧倒的に多いのです。だから、田んぼにニプロフィルやネオニコチノイドなどの農薬が撒かれると、ヤゴはすぐ死んでしまいます。そして、田んぼや畑に農薬が撒かれると、トンボの餌となる虫も死んでしまいます。トンボの個体数は過去20年間で1000分の1にまで激減してしまっているそうです。このままいけば、私たちになじみの深い「あかとんぼ」の歌に描かれる光景も遠くない未来に過去の出来事となり、歴史文化遺産となってしまうでしょう。
夕焼け小焼けの  赤とんぼ
追われてみたのは いつの日か
(2番、3番省略)
夕焼け小焼けの 赤とんぼ
止っているよ 竿の先

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(とにかく、なにかの先に止まるのが大好きなあかとんぼ。指先や頭の先(てっぺん)にも止まったりして、愛着を覚えます。)

私が小学校で習った「めだかの学校」は私の住む相模原市の自然界にはもうどこにもないと思います。その光景はもはや私たちの身の回りの日常ではなく、懐かしい過去の出来事、博物館の中にしかない歴史文化遺産でしかありません。かりに全国的な保護活動でメダカという種の絶滅は辛うじて免れているとは言ってもです。
めだかの学校は 川の中
そっとのぞいて みてごらん
そっとのぞいて みてごらん
みんなでおゆうぎ しているよ

日本各地で日常に当たり前にあった光景、生きものと共にあった生活が失われていくとき、私たちは同時にこの美しい日本の風土が育んだ日本人の感性や文化を同時に喪失していくことに気が付かねばなりません。その分だけ、子供たちの豊かな心の世界が一つまた一つと貧しくなっていることを認識しなければなりません。もちろん、その前にメダカやトンボが棲めない田んぼで育った、生命力の少ないお米が子供たちの体をじわりじわりと弱らせていくことにも気が付いてほしいと思います。

トンボ

(かっこういいですね。とんぼの飛翔能力は航空力学の研究対象だそうです。)

しかし、今ならまだぎりぎりで間に合います。
例えば、私は去年まで農薬と化学肥料で何十年も米を栽培していた田んぼを今年になってから借りて、そこでお米を作り始めました。昨日、その田んぼに行くと、夥しい数の羽化したばかりのアキアカネや糸トンボを発見しました。救いは、トンボが羽を持っていて、飛べることにあります。彼らは農薬と化学肥料の撒かれていない田んぼがあると知ると、たちまち飛んでいって、そこに卵を産みつけるのです。たぶん本能的にそういう安全な環境のありかを察知することができるのです。すると、卵は2,3か月で羽化してトンボになります。田んぼの土にはまだ農薬が残っています。だから、そこにはまだあまり草が生えません。それでも、ヤゴは死にません。水がきれいなら大丈夫なのです。だから、無農薬の田んぼに切り換える農家が増えれば、あるいは有機米農家が栽培面積を広げることができれば、トンボはまだ復活できます。だから、トンボを守るために、トンボを復活させるために、ぜひともみなさんには有機栽培のお米を食べていただきたいのです。
私は「自然の側に立つ」と決意して農業に参入した人間です。仕事の半分は環境再生と環境保護の仕事をやっているつもりです。その現場から訴えます。ぜひとも、現場の訴えに耳を傾けていただきたいと思います。
小川 誠