おいしいと言われる喜び

農業を営む者にとして、お客さんから「小川さんの作った野菜、おいしいですね。」と言われるのは、本当にうれしいことで、それに勝る喜びはありません。自分が育てた野菜やお米を食べた人が「おいしいなあ。」と感じて、喜んだことを知らせてくれると、自分も喜びを感じます。すると、今までの苦労が報われます。お店に荷造りした野菜を持って行って並べていると、ときどきそう言ってくれるお客さんに出くわします。そういう瞬間は神様からご褒美をいただいたように感じますね。         おいしいと言われて、喜びを感じるのはおおよそ食べ物を作っている人なら、お母さんでも、コックさんでも、お総菜屋さんでも、果樹栽培農家でもみなきっと同じでしょう。おいしく作ったものを食べて喜んでもらいたいというよき思いと、おいしいものを食べた喜びを作った人に伝えたいというよき思いが共鳴するときは、人の心の中で響きあう、なんとも美しい音色を発しているのでしょうね。そんな風に感じます。

ただ、ちょっとまじめな話をすると、おいしさには、食べて体に良いおいしさと、体に悪いおいしさがあることは言っておきたいと思います。大家族は、前者に徹底的にこだわっています。つまり、命を養う、生命力を高める、それによって、明日の活力を育む。そういう、生きるための役、健康増進につながるおいしさを追及しています。残念ながら、人の味覚は必ずしも命を養わない物でもおいしく感じてしまう欠点がありますね。今は特に人工的なおいしさ、つまり化学物質によって作られたおいしい食品や、化学処理されて作られた不自然な食品が非常に増えています。しかし、それらはむしろ体に害をなすおいしさです。そういう物を取り込まないためには、現代社会では健康な農作物や食品に関するある程度の関心と知識がないとだめですね。現代は、知的に食べる時代でもあります。

小川

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