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終戦70周年 平和の誓い

2015年8月15日

今からちょうど70年前の8月6日に広島で、そして8月9日に長崎で、アメリカ軍によって原子爆弾が落とされました。わずか3日の内に私たち日本人は世界の歴史の中で前代未聞の大量殺戮と想像を絶する都市の壊滅的破壊を2度も経験したのです。それによって日本は選択の余地もないまま無条件降伏を受け入れて、第2次世界大戦に敗戦して終戦となったのでした。その日は、年に一度国民がこぞって先祖のみ霊を自宅に迎え入れる旧盆の最中でした。この一連の魂に響く重い日々は、私たち日本人が目の前に未だに生々しい「生と死」を見つめて、自らと日本民族の魂の来し方行く末に思いを馳せる日々になっています。戦争に負けたとき、私たち日本国民一人一人が、身内を失った深い悲しみの中で、人の愚かさ、戦争の残虐さと理不尽さ、原爆の言語を絶する残酷さと非人道性を見つめて、「二度とこのようなことを繰り返してはならない」と深く深く魂に刻み、真摯に痛烈に反省しました。その時に、歴史の偶然とは思えない、いわゆる平和憲法を天から与えられました。その第9条にはこうあります。

1. 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、   国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。           2. 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。 今になってわかるのですが、これは第2次世界大戦で犠牲となった世界中の数千万人のみ魂の祈りが結晶したものです。神様はその祈りを受け止めて、日本国民に与えてくださったのです。

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私たち日本国民は、憲法9条を世界に向けた私たちの平和の誓いの証となし、以来幾多の試練や風雪に晒されつつも心を一つにして憲法9条を守ってきました。そして、私たちは本気で平和国家の平和を愛する民にすっかり生まれ変わろうと、愚直に、謙虚に、健気に平和への道を歩んできました。そうして、諸国民の信頼を勝ち取ろうと地道に努力を積み重ねてきました。今では確かに軍隊も持っていて、憲法9条の順守は決して完全ではありません。しかしながら、それを守り抜く不断の努力がある程度は結実して、幸いなことに、日本は第2次世界大戦後どこの国とも戦火を交えることなく、70年に渡る平和を維持してきました。先ほど少し触れたように、私たちの昔からの風習で、毎年8月13日にはお墓参りをして先祖の魂を自宅に迎え入れ、御馳走を振る舞って、3日間先祖の魂と共に過ごします。そのとき、戦争の犠牲となった親兄弟のいる家庭では、仏壇の前に座り、その魂に手を合わせて、妻や子や孫が「お父さん、お兄さん、お二人の平和の祈りを私たちは現実としましたよ。お二人の死は決して無駄にはなりませんでしたよ。」と語りかけることができます。その時にその遺族はしみじみと平和な国になってよかったと思うのです。その思いを私たち日本人は全員が共有しています。日本の遺族がそのように仏前で平和を達成したことを報告をするとき、きっとその波動は、日本軍の犠牲となった数百万のアジアやアメリカ、オーストラリア、ヨーロッパのみ霊にも届いていることでしょう。そして、その方々も天国でさぞかし安堵していらっしゃることでしょう。 150323_1512~01

しかし、愚かにも、今まさに世界中が最も必要としている、日本国憲法のような平和憲法を、こともあろうに、一国の首相が率先して葬ろうとしています。憲法を犯して、日本を「戦争のできる国」にする法律を制定しようとしています。それを政権与党が全面的に支持しています。しかしながら、私たち日本人の大半は首相と政権与党の行為に反対しています。これほどの愚行は戦後の日本の平和史に例を見ません。これほどの先見性の欠如、歴史の流れに逆行する、時代錯誤の行為は世界中の良識ある人々から非難と軽蔑の眼差しを向けられて当然であると思っています。残念ながら、世界から冷たい疑いの眼差しが私たち日本国民にも向けられていることも感じています。 終戦70周年のこの時に至り、私たち日本国民は改めて世界中の平和を愛する方々に次のことをお伝えしたいと思います。

1. 私たち日本人は先の日本の侵略戦争で犠牲となって尊い命を落  とされたアジア、アメリカ、オーストラリア、そしてヨーロッパの何百万人ものみ霊一人一人に思いを馳せて、改めて深く痛切なるお詫びと心の底からの反省の言葉を捧げ奉ります。                    2. そして、日本軍が侵略した諸国に於いて、本土の犠牲となった沖縄に於いて、そして本土に於いて、無念の最期を遂げた数百万の日本人のみ魂の安らかならんことを心から祈ります。             3. 私たち日本国民は、政府が何を企もうとも、世界中の戦争犠牲者の祈りの結晶である憲法9条を、命を賭して断固として守り抜くことを今この時に誓います。

皆様方の日々が平穏でありますように。                   世界が平和でありますように。                      神のご加護がありますように。

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小川 誠  合掌

いのちいきいき米の年間注文   受付開始

いのちいきいき米

長年不登校生を自宅で預かり、農作業を中心にした寄宿生活塾を開いて、青少年の自立支援活動をやっていました。彼らとの共同生活を通して知ったのは、共通して生命力が欠如しているという事実でした。そこで食育の重要性を痛感し、生物多様性のある田んぼ環境を作りたいと思って、農家になりました。こだわっているのは、①“本当に安全”で、②生命力が高くて、かつ③おいしいお米を作ることです。人間はもちろんのこと、他の生き物までも命が生き生きするような米作りを心がけるという想いで、「いのちいきいき米」と名付けました。

今年大家族の不耕起・冬期湛水の田んぼでは、稲が多年草化するという前代未聞の出来事が起こっています。大家族の稲の生命力が如何に強靭であるかを物語っています。「いのちいきいき米」はご家族の健康維持に、また病気で生命力の弱っているご親戚やご友人への心のこもった贈り物としても打ってつけです。

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(風に豪快になびく多年草化した稲。穂を出し始めている。)

今日から、今年のお米の年間注文の受け付けを開始しましたので、ご案内申し上げます。

なお、いのちいきいき米は全て有機栽培で、農薬や化学肥料は苗作りの段階から一切使用していません。また、種籾の消毒も一切行わず、種の段階から自然であることにこだわっています。また、肥料は米ぬか、遺伝子組み換えでない国産大豆のおから、そして天然貝化石粉末を使用していて、畜産堆肥は一切使用していません。ですから、アトピーやアレルギーの方でも安心してお召し上がりいただけます。

年間注文量の総計が玄米で30㎏以上の場合は3%、60㎏以上の場合は5%値引きをさせていただきます。

品種 特徴 玄米価格 白米価格
さとじまん 神奈川県農業技術センターの推奨品香りがよくて美味。天日干し 5㎏ 3,720円 5㎏ 4,090円
ひかり新世紀

 

同上、有機転換一年目

遺伝子は99.9%こしひかり。うっとりするおいしさ。 5㎏ 3,520円

 

5kg 2,950円

5㎏ 3,870円

 

5kg3,245円

喜寿モチ米 神奈川県農業技術センターの推奨品甘みが濃い。ご飯に1,2割混ぜて炊くと、味がぐっとよくなる 1㎏ 730円 1㎏  800円
不耕起・冬期湛水さとじまん 生命力がとても高く、生物多様性の中で育まれる自然な味。その田んぼ地帯では絶滅危惧種IBに属す ホトケドジョウが大繁殖している。 5㎏ 4,150円 5㎏ 4,565円
不耕起・冬期湛水ひかり新世紀 5㎏ 4,150円 5㎏ 4,565円
不耕起・冬期湛水喜寿モチ米 1㎏  850円 1㎏  935円

 

● 申込用紙はこちら ⇒ 27年度 年間購入申込書 (一般)

いのちいきいき米の特徴は以下をご覧ください。

https://nagominou.com/?page_id=105

5㎏と10㎏の場合、送料はそれぞれ以下の通りです。

●関東、信越、東海、宮城、山形、福島  5㎏;450円、10㎏ 650円

●関西、中国  5㎏;650円、10㎏;10㎏ 850円

●四国     5㎏;750円、10㎏;950円

●九州、北海道 5㎏;850円、10㎏;1,050円

年間注文をご希望の方はメッセージで、住所、名前、電話番号、メールアドレスを明記のうえ、ご連絡ください。大家族の上記ホームページからもご連絡いただけます。折り返し、注文書と注文案内書をお送りいたします。

(近近注文書を掲載する予定あり)注文の確定後、請求書をお送りいたします。そして、振り込みを確認後、配達月ごとに商品を発送させていただきます。

ご不明の点は、遠慮なくお問い合わせください。

 

〒252-0232 神奈川県相模原市中央区矢部2-21-17

携帯:090-93418229

合資会社 大家族 小川 誠

 

 

多年草化した稲 7月15日

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(だいぶ穂が出てきたのがわかります。)

最初の穂が出始めてから2週間が経ちました。天候不順だったこともあり、穂の出る速度はゆっくりですが、確実に増えています。

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(この株はもう背丈が1mに達しました。穂も出始めています。茎が太くて、野性的です。)

最大の関心事は、野生化した稲に普通の稲と同じように実が入るかどうかです。それは8月上旬にはわかるでしょう。

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(一株一株が大株なので、風に揺れる姿は豪快です。)

他の田んぼで多年草化した稲は、まだ盛んに株別れをしているところで、違いが鮮明です。

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(竹棒の間の太い株が多年草化した稲です。)

前代未聞の稲の多年草化。その観察会は8月8日(日)午前10時からです。

 

多年草化した稲の観察会

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大家族の不耕起・冬期湛水の田んぼでは、去年植えた稲が冬の間に枯れずに生き延びて、春からまた再生して、非常に威勢よく生長を続けています。一株が50本から60本を超える大株が多く、既に一部で穂が出始めました。 

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品種は晩生ですが、ここでは極早生の様に成長しています。このような現象は前代未聞です。稲は野生化して、多年草化したのです。3年ほど前からそのような現象がポツリポツリと現れてはいましたが、今年は特に1畝弱の田んぼでは9割以上が再生して、そこは田植が不要になってしまいました。

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どうしてこのような稲の多年草化現象が起こったのでしょうか? 岩澤信夫先生が開発された不耕起移植栽培の強くて逞しい苗作り、不耕起・冬期湛水による生物多様性のある田んぼ環境、そして大家族が実践する「和み農」の相乗効果で生じているものと思われます。
今回の観察会では、稲は穂を垂れていると思われるので、そのときの稲株の状況を詳しく観察して、今年田植えした稲とどのように違うのか、また実際の実りはどうなるのか、比較・分析・予測を試みたいと思います。そして、どのようにして野生化・多年草化が起こったのか、不耕起移植栽培の育苗技術と「和み農」の解説をした上で、そのメカニズムの解明を試みたいと思います。さらには、多年草化した稲による全く新しい画期的な不耕起・冬期湛水稲作、すなわち、同一株による二期作(年に2回収獲すること)、そして一度田植えをすれば、何年も田植えが不要となる、夢のような米作りの可能性についても、参加者のみなさんと意見交換をしたいと思います。
関心おありの方はぜひご参加されますよう、ご案内申し上げます。
1.日時   8月8日(土)午前10時~12時
2.場所   神奈川県相模原市田名塩田の不耕起・冬期湛水田
3.定員   40名
4.参加費  一人1,000円(多くの方にお越しいただきたいので、参加費を半額にしました。当日徴収します。資料代を含む)
5.集合場所 カインズホーム田名塩田店前に午前9時半集合
6.道案内  なるべく公共交通機関をご利用ください。
JR相模線原当麻駅下車、駅前のバス停で9時7分発、田名ターミナル行きバスで 約10分、塩田桜橋で下車。そこからバスの進行方向にカインズホームが見えます。そこから、現場まで徒歩約5分。バスは1時間に一本しかないので、乗り遅れないようにご注意ください。車でお越しの方は事前にご連絡ください。(駐車できないこともあります。)
7.申込み: 参加希望者は、住所、名前、電話番号を明記のうえ、facebookかEメールかファクスで事前予約が必要です。当日スポットでの受け付けはしません。
8.その他  雨天でも決行します。あぜ道などがぬかるんでいる場合があります。汚れても良い恰好でお越しください。盛夏ですので、暑さ対策と十分に水分の補給ができるようにご準備ください。
ご不明な点があれば、メールでお問い合わせください。

 

 

ハクビシンとの共生の試み

 

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今年は2カ所でとうもろこしを栽培しています。1か所(A畑)は5年前にハクビシンによって200本ばかり全滅させられたところです。もう1か所(B畑)も去年ハクビシンに荒らされたところです。引っ掻かれたトウモロコシを見たときに感じたのは、〈これは嫌がらせだ。ハクビシンは怒りを顕わにしているのだ。〉ということでした。それで、ハクビシンについて調べてみると、戦前は台湾から軍人の毛皮用などに、戦後は中国などからペット用に輸入されていることがわかりました。しかし、いずれの場合も、用が無くなったら、日本人は無責任に自然の中に放置して、後は知らんぷりをしている実態が見えてきました。今やハクビシンは全国各地に見られ、森や林のある所だけでなく、住宅地でも出没しては、畑や家庭菜園の作物を荒らしています。その実態を知って、私は自分の畑では、トウモロコシを分かち合うようにしたところ、途中からハクビシンの嫌がらせがぐっと少なくなって、去年は全滅コースではなく、6割は無事でした。その経験を踏まえて、今年は敢えて被害に遭った同じ場所でトウモロコシを作りました。収穫が始まる直前から、3週間にわたってトウモロコシの分かち合いの試みの経過をまとめたので、ご紹介します。
第1週目
トウモロコシの様子を見に行ってみると、どちらの畑でもまだ熟していないのに、ハクビシンが“試食”を始めた跡があったので、昨年同様、そこへ行くたびに場所を浄めて、天地創造の神様に真剣に次のような祈りを捧げました。

1.日本人が戦前から今日までハクビシンを勝手に輸入して、不要になったら、野山に放置している身勝手を深くお詫び申し上げます。
2. 自分のとうもろこしをハクビシンと仲よく分かち合うことができますように。
3. 願わくば、売り物になる大きいものは収穫させていただいて、ハクビシンには小さいものを食べてもらえます様に。
毎回、ハクビシンに向けても同じ内容のことを念じて、思いを届けようとしました。
さて、その週の終わりに収獲が始まりました。結果は次のとおりです。
収獲数(大きいもの)             17本
ハクビシンが食べた本数(大きいもの)  18本

たくさん食べられました。しかし、良く聞くのは、明日収獲しようと思っていたら、その晩に全部やられたという話です。私の畑ではそれは起こりませんでした。

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(ハクビシンがかじったトウモロコシは食べやすいように一か所に集めて、皮を剥いて、立てておいた。)

第2週目
毎回、畑に行くたびに、先に上げた祈りを捧げました。ハクビシンにも同じ内容のことを念じて、思いを伝えようとしました。取り組みは劇的な展開を見せました。
まずは結果をご覧ください。
収獲総本数         288本
ハクビシンが食べた総数  23本
ということで、本当に大量の収穫ができました。嫌がらせで引っ掻かれたトウモロコシは一つもありませんでした。そして、皮を剥いて、立てておいたトウモロコシは全部食べてくれました。

ハクビシンさん、ありがとう。神様、ありがとうございます。こんなに良い結果になろうとは、正直言って想像だにしていませんでした。あまりの被害の少なさに興奮を覚えました。正に祈りが天地創造の神様に通じ、なおかつハクビシンにも通じているのを実感しました。
余談ですが、B畑ではカラス対策を全くやっていませんが、カラスにも荒らされていません。こんなことも初めてです。

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(内心ヒヤヒヤしていたが、ありがたいことに最適な時期にたくさん収穫できました。)

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(えりすぐって、お店に並べました。たくさんあったので、残りは次に日に持って行きました。)

第3週目
まずは結果をお伝えします。
販売用に収獲した総本数(大きいもの)              282本
私がもいでハクビシンに分け与えた総本数             37本(中~小さいずのもの)
ハクビシンが自分でもいで食べた総数 (小~大といろいろ)   24本
合計343本
この週も、毎回畑に行くたびに立ち止まって、手を合わせて、真剣に先に紹介した三つの祈りと収穫を許されている感謝の祈りを捧げました。そして、ハクビシンにも同様の念を送りました。

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(その日も大きいトウモロコシがたくさん収獲できました。)
第2週目の経験から、神様の計らいで私の思いがハクビシンに通じていることを確信しました。それで、分かち合いの思いをさらにはっきりと示すために、この週はハクビシンが必要とするトウモロコシの数を推定して、私の方でハクビシン用に小さ目のトウモロコシをもいで、皮を剥いて、地面に立て掛けるようにしました。
ハクビシンは毎回それをとても上手にきれいに食べてくれました。それでお腹がいっぱいにならない分だけ、“自分でもいで”食べました。

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(実にきれいに全部食べてある。以前は、もっとガサツに食べ散らかしてあった。)

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(自分でもいだものも以前よりきれいに食べてある。)
両方合わせると、ハクビシンが食べたのは64本で、全体の18%。本数は多いですが、商品として見た場合、売り物になるのは、2,3割だけでした。ハクビシンが、いわゆる“いやがらせで荒らした”トウモロコシは一本もありませんでした。このような結果からわかるのは、ハクビシンは私の“願い”をちゃんと知っていて、かなりの程度までそれに応えてくれていると言うことです。私とハクビシンとの間には“共生関係”が成り立ったと言っていいように思います。

まとめ
ハクビシンとの共生の試みを3週間分お伝えしてきました。それは私にとって、「和み農」の実践を意味しました。「和み農」は一言で言うと、「循環と共生の21世紀農業を目指す人の心構え」です。それは次のような八つの柱から成りたっています。
1. 全ての生き物と共生し、
2. 環境と調和して、
3. 排出ガスを最小限に抑え、
4. 作物と心を通わせ、
5. 資材を循環させて、
6. 技能を磨き、
7. “本当に安全な作物”を作る。
そして、
8. 神への祈りから始める
(詳しくは、以下のホームページをご覧ください。https://nagominou.com/?page_id=93
今回は、特に、1.全ての生き物との共生 と 8.神への祈りから始まる を実践しました。昨年も同様の実践をしました。その経験から実感としてお伝えできるのは、次のようなことです。
① ハクビシンを憎む気持ちは全くなくなりました。むしろ、まだ見ぬ恋人のように、とてもいとおしく感じるようになりました。

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(私の畑に夜な夜なやってくるハクビシンもこんなかわいい顔をしているのでしょうか。)
② ハクビシンに私のトウモロコシを与えることは当初抵抗がありましたが、今はハクビシンと心が通じ合えることを喜ぶ気持ちが数段勝っているので、分かち合えることが喜びになりました。
③ 神は人の作り上げた観念ではなくて、「神は実在する!」ことを実感しています。農家ないし百姓はかつてそれを自然に実感できていたのだろうと思います。ミレーの有名な絵「晩鐘」は農家が還るべき原点を描いているように思います。農家にとって祈りは単なる形式以上の実質的な意味があったのではないでしょうか。それは先進国の農家が失った”技能”だったのかもしれません。

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(農夫とその妻の祈りは素朴で、真摯で、深く、神に通じていることを感じさせます。)
④ 自然の背後には神の創造された厳粛なる掟があって、人も動物もそれを守らなければいけないようになっていると感じます。それを真っ先に犯した日本人がまずは天地創造の神様に真剣にお詫びをして、同時にハクビシンにもお詫びをしないといけないと言う気づきが、今回の試みの出発点でした。それは間違っていなかったと思います。
⑤ 天地創造の神様にもハクビシンにも感謝の気持ちでいっぱいです。

全国的に年々獣害はひどくなっています。総被害額は500億を超えたと聞いたことがあります。その原因は一体どこにあるのでしょうか。この報告書が今まで光が当たらなかった箇所に少しでも光を当てることができたなら、幸いです。

小川 誠

 

【追記】 第4週 ハクビシンンの道徳心

第4週以降は収獲数が数十本と少なくなって、10日間で3回しか畑へ行きませんでした。ですから、当然ハクビシンはたくさん自分でトウモロコシをもいで食べたはずです。ところが、実際には4,5本しかもいでなくて、いいトウモロコシはほとんど手を付けてありませんでした。ハクビシンは私がもいで皮を剥いて立て掛けたトウモロコシだけを食べるように努めていることがはっきりと見て取ることができました。〈もっとたくさん食べたかっただろうに・・・。〉そのことに気付いて、私は感動で知らず涙が流れてしまいました。ハクビシンは私の思いやりに応えようと、自分で自分の欲望を自制すべく努力していたようなのです。外来の野生動物であるハクビシンはそんな道徳心を持った動物のようです。すなわち、私たちがハクビシンを勝手に輸入して、不要になったら野山に放置していることに対して、日本にいるハクビシンは怒りを持っていて、畑を荒らすことで日本人を困らせてやろう、仕返しをしてやろうと思っています。しかし、ひとたび一人の人間がそのような日本人の身勝手を天地創造神とハクビシンに真剣にお詫びして、自分の作物を仲よく分かち合えますようにと祈り、その想いを行動に移すと、今度は逆にその人間の気持ちを汲んで良心的に振る舞おうとする動物らしいのです。

自然界の奥深くには、人と動物の関係について、(おそらくすべての生きとし生きるもの同士の関係について)、神の定めた厳粛な掟があると感じます。人がその掟を正しく守ると、動物の方もその掟に従って行動するようになるのではないかと感じています。

 

 

 

農業研修生の募集

研修生の募集を始めます。

①半年コース  今月から12月末まで

②1年半ないし2年コース 今月から来年12月まで、ないし2年間

後者は農水省の「農の雇用事業」で採択されることを前提に正規雇用となります。現場作業を中心に、「循環と共生」の21世紀農業について学びます。対象は20歳から35歳までの若者です。詳しくは当ホームページの「研修生の募集」をご覧ください。

代表 小川 誠

多年草化した稲 7月1日

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(去年田植えをした稲が4月に復活して、威勢よく生長を続けている。稲は野生化し、多年草化した。)

今年集団で多年草化した稲の成長は異例なことばかりです。春まだ早い4月上旬に発芽が始まって、驚くべき勢いでどんどん株別れをして、今多くの株は50本以上に増えていています。紅白の棒を立てた写真の株はすでに60本を超えています。それが全部普通に実れば、大豊作を超えて、超豊作となるでしょう。

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そして、今日7月1日になんともう穂を出しはじめました。

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この品種は通常8月中旬に穂を出す晩生の品種ですが、極早生品種のような振る舞いをしています。この分では、8月中旬に稲刈りとなりそうですが、そんな早い時期の稲刈はこの地域では聞いたことも見たこともありません。

多年草化した稲の観察会は8月8日(日)に予定しています。

多年草化した稲

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不耕起・冬期湛水の水田では一枚の小さな田んぼで9割がた昨年の稲が多年草化していますが、その隣の田んぼでも約50株が多年草化しています。はっきり分かるようにと、今年はその株のそばに竹棒などを立てました。ちょっと異様な光景になってしまいました。
それらは4月中に発芽が始まったので、株分かれは早く進んでいます。今年はこれらの株は個別に収穫して種を保存するつもりです。

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(4月には発芽していて、ぶんげつも進んでいる。)

ハクビシンとの共生 第2週目

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(おととい収穫したとうもろこし)

とうもろこしをハクビシンと分かち合う取り組みは劇的な展開を見せました。まずは結果をご覧ください。

収獲総本数      288本

ハクビシンが食べた総数 23本

ということで、本当に大量の収穫ができました。ハクビシンさん、ありがとう。神様、ありがとうございます。感謝、感激、感動を禁じ得ません。こんな結果になろうとは、正直言って、想像だにしていませんでした。あまりの被害の少なさに興奮を覚えています。

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(えりすぐって、お店に並べたとうもろこし。)

私の提唱する「和み農」では8番目に「神への祈りから始める」と言う項目がありますが、正に祈りが天地創造の神様に通じ、なおかつハクビシンにも通じているのを実感します。

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(ハクビシンがかじったトウモロコシはきれいに皮をむいて立てておきます。すると、次回行ったときは必ずきれいに全部食べてあります。私の思いと思いやりにハクビシンが応えてくれているような感じがします。)

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(立てたとうもろこしは、きれいに食べてあります。)

余談ですが、B畑ではカラス対策を全くやっていませんが、カラスにも荒らされていません。また1週間後に経過を報告させていただきます。

(解説:前回報告)

今年は2カ所でとうもろこしを栽培しています。1か所(A畑)は5年前にハクビシンによって200本ばかり全滅させられたところです。もう1か所(B畑)も去年ハクビシンに4割がた台無しにされたところです。しかし、全滅ではなく、6割は無事でした。その経験から、今年はあえて被害に遭った場所でトウモロコシを作りました。        先週様子を見に行ってみると、どちらの畑でもまだ熟していないのに、ハクビシンが“試食”を始めた跡があったので、昨年同様、そこへ行くたびに場所を浄めて、天地創造の神様に真剣に祈りをささげています。

1.日本人が戦前から今日までハクビシンを勝手に輸入して、不要になったら、野山に放置している身勝手を深くお詫び申し上げます。

2.自分のとうもろこしをハクビシンと仲よく分かち合うことができますように。

3.願わくば、売り物になる大きいものは収穫させていただいて、ハクビシンには小さいものを食べてもらえます様に。

毎回、ハクビシンに向けても同じ内容のことを念じて、思いを届けようとしています

さて、今日から、収獲が始まりました。この1週間の結果は次のとおりです。

収獲数          17本

ハクビシンが食べた本数  18本

たくさん食べられました。しかし、良く聞くのは、明日収獲しようと思っていたら、その晩に全部やられたという話です。私の畑ではそれは起こりませんでした。そして、A畑ではここ二日は、一本も食べられていません。脈はありそうです。

 

今ここに「いのち」あることが希望である

医学、教育、福祉、そして農業は生命にかかわる生業である。医学と教育と福祉は人の「いのち」と「いのち」が直接係わりあうのに対して、農業は直接自然界の「いのち」と関わり、食物を通して間接的に人の「いのち」や健康と関わる。「いのち」と関わる生業に従事する者は、「いのち」に対する自分なりの倫理観や道徳観をしっかりと持っている必要がある。その「いのち」を見つめていくと、自ずから地球を取り巻く宇宙にまで思いが至る。

「いのち」は間違いなく宇宙と繋がっている。

さて、生命について、「いのち」について、人類の進化という観点で少しばかり哲学的な考察を加えてみたい。 それが混迷を極める現代世界において、生きる指針、あるいは人の進むべき方向性を提供してくれると思うからだ。したがって、この章は、上に挙げた生業についている人や、農業に関心がなくても「いのち」に関心のある人にも読んでいただきたいと思う。

 

利己的な欲望が未来を絶望的にする

今、世界に目を向けると、地球温暖化ばかりでなく、様々な環境問題があり、それと複雑に絡まって、世界には水、エネルギー、食糧、貧困、飢餓、テロと戦争や紛争、エイズ、感染症など、実にさまざまな難問が山積している。世界経済もその脆弱さを露呈している。このような状況下、これからの世界は何をきっかけに連鎖反応が起こるかわからない。そして、地球規模で未曾有の緊急事態が発生する可能性は間違いなく高まりつつあり、しかもその予測はますます困難になってきている。

それもこれも、その根本原因は、20世紀の資本主義経済が人間の利己的な欲望を開放しすぎたことにある。それまではどの社会でもそれなりに宗教や共同体、地縁血縁の絆などによって、随所でブレーキがかけられていたために、人間の欲望が暴走することはまれだった。ところが現代は世界中で欲望と欲望が激しくぶつかり合い、頻繁に暴走している。とりわけ、金(かね)に対する飽くなき欲望が人間社会に一定の秩序をもたらし、自然生態系を守ってきた倫理や道徳を片っ端から破壊しつつある。その欲望と利己主義(エゴ)にブレーキをかけられない今の世界は、必ずや近い将来破局を迎えるに違いない。利己的な欲望の対極にあるのは、利他愛と共生本能だが、それが欲望に取って代わらなければ、人類社会は壊滅することだろう。そのとき地球環境はぼろぼろで、他の生物も絶滅に瀕しているのではないか。私はかつてそのような悲観的な見方から将来に対して絶望的になることがしばしばあった。

 

神秘に満ちた生命の世界

しかし、そんなときに「いのちの世界」に目を向けると、いつも生きる勇気と希望が湧いてきた。
生きることの楽しみは人それぞれ千差万別だろうが、私は生命の神秘を見詰めることが楽しみの一つだ。生命は見詰めれば見詰めるほど神秘的で、不思議に満ちている。初孫が誕生したときのことだ。日々その変化と成長の姿に接していると、非常に明確な一つのメッセージが伝わってきた。それは、

生命の誕生と日々の成長は限りない希望であ

という「いのちの世界」からのメッセージだ。孫が誕生した時に覚えた感動と、蒔いた種から芽が出たときに覚える感動は、感動の大きさこそ異なるが、「いのち」の誕生を喜ぶ私の「いのち」の反応という点で、本質的に同じ種類の感動だ。

ところで、生まれたばかりの赤ん坊は植物状態に等しく、しかも自分で自分の身の安全を守ることすら全くできない、無防備で無能な存在だ。できることは泣くこと、おっぱいを吸うこと、眠ること、そして排泄することぐらいで、これはどうみても進化の大失敗作としか思えない。しかし、このあまりに無防備で、無能で、母親に100%その生命の維持を依存した存在を前にすると、私たちはその生命をなんとしても守り、育てていきたいという衝動に駆られてしまう。私たちの命がそのように感じさせるのだ。それは理屈でも、義務感でも、思想でも、道徳意識からでもない。

地球上のあらゆる生命現象界を捉えて「地球生命の世界」とか、もう少し縮めて「いのちの世界」と呼ぼう。今、私が思い、感じるのは次のようなことだ。

個々の「いのち」は「いのちの世界」と繋がっている。ヒトは心を澄まし、耳を澄ませば、心の奥深くに「いのちの世界」の思いを感じ、その声を聞くことができる。

 

赤ちゃんの適応能力欠如の意味

 さて、その植物状態の赤ん坊が日に日に成長していく過程は興味が尽きない。赤ん坊は回路がでたらめに配線されて組み立てられたために手足がとんでもない動きをするロボットのようだ。手がまともにおもちゃをつかめるようになるだけでも5ヶ月も6ヶ月もかかるのだから、不器用極まりない。人間の赤ん坊だけがなぜ他の動物と違って、これほどまでに不完全な状態で生まれるのだろうか。これが進化の頂点に立つヒトという種が自ら選んだ選択であろうか。どう考えてもそうとは思えない。ただ事実においてヒトという生物はその生命の誕生の初めに母親とその家族から無限と言えるほどの手間ひまをかけて面倒を見てもらい、愛情を注いでもらわないと、ヒトとしてまともに成長できない。そのような大きな回り道をするように仕組んだのは誰だろうか。私は「いのちの世界」の仕業だと思う。それは神の御業と言ってもよい。

ヒトの進化に「いのちの世界」は深く関与している。

 

興味尽きない擬態

枯れ葉の形にそっくりな甲羅をもった熱帯の虫、ランの花そっくりの色と形をした熱帯のカマキリ、木の枝そっくりの形をしたナナフシなど、世界中の虫の中には実に見事に周りの物や生き物にそっくりの色や形をした物まね名人がいる。私はどうやって彼らはそのような形態や能力を獲得できたのか、昔から不思議でならなかった。学校で習った、突然変異と適者生存(自然淘汰)の法則だけでそのように進化したという説明ではどうしても納得できなかった。なぜなら、彼らの真似の仕方は絶妙で、その姿は、どれも巧みの世界の熟練工にしかできないような芸術作品だからだ。それがただの偶然の積み重ねで起こったとは到底思えない。例えば、ランそっくりのカマキリは自身を鏡に映さなくてはそっくりかどうかわからない。それをどうやって知り、どうやって生んだ子どもがランそっくりになるようにしたのだろうか。子供っぽい言い方をするならば、私は「いのちの世界」が鏡を提供し、そっくりに整える理髪師の役も化粧係もしたのだと思っている。つまり、擬態はその生き物の”願い”を知り、その願いを実現しようとするただならぬ “努力”を知った「いのちの世界」が手を貸して、DNAに働きかけて実現したのではないだろうか。と同時に、「いのちの世界」がそのような生き方をする生物を創造したいと思っていたから、その声を聞き入れたのではないだろうか。おとぎ話の様で恐縮ではあるが、

地上のあらゆる生物の進化はその生物の「いのち」と「いのちの世界」の相互作用、共同作業によって起こっている。

これが進化の真実ではないかと感じている。

 

ヒトの進化の方向と現代人の方向のずれ

ヒトの話に戻ると、「いのちの世界」との相互作用、共同作業で決められたヒトの進化の方向は、他の生物とは大きく違っている。ヒトは明らかに地上環境への完全な適応を目指してはいない。誕生のときから、私たちは環境不適応の極みを演じている。その意味は一体何だろうか。やはりヒトという種は地上的な様々な制約、ある意味で逆境の中でほどほどに衣食住の満たされた生活環境を作り、その上で愛とか、調和とか、理想とか、創造とかいった、精神的な形質をどのように完成させるかを課題として与えられた生物のようだ。その点で、ヒトは「最適な環境」という概念を必要としない、唯一の生物かもしれない。ヒトにとって、生活環境は精神的な進化のために必要な物質的、社会的な制約や条件なのだ。現代の先進国の侵した大きな過ちは、自然環境を大規模に破壊して、ヒトにばかり好都合で人工的な最適な生活環境を作りあげ、物資的な豊かさを人生の目的とする世界を作ってしまったことだ。それは、ヒト本来の進化の方向から大きく逸脱している。今、起こっている温暖化などの地球の諸問題は、そこに根本原因があると気づかねばならないのではないか。

「いのちの世界」がヒトに託したのは、自然と調和した生活環境で、精神的な形質の向上と飛躍(進化)によって精神世界を豊饒にすることである。

 

「いのちの世界」は無尽蔵の総合情報センター

「いのちの世界」は地上に生命が誕生した38億年前から今日に至るまでの連綿たる生命のリレーが行われている世界だ。そこには一瞬たりとも命が途切れたことはない。その意味は非常に重要で、私たちヒトもその生命のリレーの中で生存の為に必要なもの(能力や形質や智恵)を全て遺伝情報として受け継いできているということだ。発生学がその一端を伺垣間見せてくれる。「いのちの世界」にはそのような無限大ともいえる地球の歴史と生命の情報が保管されているように思う。だから、ヒトという種はかつてあったであろう全ての地上の出来事には十分対応していけるだけの智恵を自らのうちに持っているのではないだろうか。それが呼び出せないなら、「いのちの世界」に意識を向ければ、そのような情報を自らの生命感覚で捉えることが可能なのではないだろうか。

例えば、こういうことだ。私は一歳の時に肺炎にかかって、病院に担ぎ込まれた。幼児期の肺炎は命取りになりかねない。私の担当医師は当時開発されたばかりのクロロマイセチンという抗生物質を投与した。私の熱が下がったのはよかったが、体温が急降下して、35度台まで下がってしまった。その急変する様子を見ていた父は、私の足に触ると、異常に冷たくなっていることに気付いた。父はとっさの判断で湯を沸かし、湯たんぽを作って、私の足に当てた。すると、体温が戻ってきて、顔色が戻ってきた。その話を後で担当医師にしたところ、その医師の顔が一瞬青ざめたそうだ。当時クロロマイセチンはまだ新薬で、その医師は赤ん坊に投与すべき適量を心得ていなかったのだ。もし父があの場で湯たんぽを私の足に当てていなかったら、私は「いのち」を失っていたことだろう。そうやって、父は私の「いのち」を救ってくれた。父は何の医学的な知識も持ち合わせていなかったが、「いのち」が持っている感覚、すなわち”生命感覚”に従って、適切な行動を取ったのだ。私の理解はこうだ。父の「いのち」は「いのちの世界」と繋がっていたから、その総合情報センターから瞬時に最適な情報を取り出すことができたのだ。

 

「いのちの世界」の智恵を引き出そう

環境大破壊の時代にあって、日本を含む先進国の人々が最優先課題として取り組むべきは、「いのちの世界」との繋がりを復活させてその智恵を引き出すことだ。言い換えれば、神との繋がりを取り戻して、神の智恵をいただけるようにならないといけない。そうすれば、必ずや山積する人類の諸問題に解決の糸口が得られることだろう。いや、すでに世界中で多くの人々がその智恵を蘇らせたり、引き出したりして、それを生活の中で生かして日々を静かに送っているか、あるいは活発に、未来に希望を持って活動している。「いのちの世界」と繋がりを取り戻すのはその気になれば、さほど難しいことではない。前述のとおり、心を澄まして、自身の命に、体や心の声に耳を傾け、自身も本来その一部である自然界に耳を傾けることだ。土と触れあうことも有意義だ。霊性を高める業もいいだろう。人の幸せを一心に祈ることもいいだろうし、もちろん、直接神に祈ることもできる。そうして、生命感覚を呼び覚まし、私の「いのち」の全身感覚を蘇らせることが大切だと思う。

「いのちの世界」としっかりした繋がりが復活すると、周りで何が起ころうとあまり動じなくなる。なぜなら、そういう人たちは自分の力量を心得ていて、それぞれの能力と与えられた環境において自己の精神的な形質(=個性)を向上させるというヒトの進化の方向に沿った生活をして、ぶれなくなるからだ。

「いのち」は「いのち」自ずから、進むべき方向と採るべき行動を知っている。

 

今ここに「いのち」あることが希望である

「いのちの世界」は常に進化の過程にある。進化とは、”人生にとっての意味”という視点から言うと、希望である。今私たちが生きていること自体が進化の実現した姿であり、次への一過程でもある。だから、進化の意味は”困難は乗り超えられる”、”よいほうに変わることができる”という意味だ。

それでは、「いのちの世界」とはいったいなんのことだろうか。

「いのちの世界」とは今生きて「いのち」あるものを無条件に全面的に生かそうとする宇宙の働きのことだ。

それを「神の大愛」とも言う。仏教に言う如来や観音の「大慈観」の顕れとも言える。

そのような働き、そのような神や仏の意志の表れが進化という現象であり、それが希望の本質ではないだろうか。

今私たちがこうして生きているということは、そのまま、今生かされているということにほかならない。それは神の愛、あるいは仏の慈悲に包まれているということに他ならない。

私もまた地球環境に関心のある多くの人々と同じように、今の地球環境の急激な悪化や生物種の絶滅に心を痛める人間だ。しかし、「いのちの世界」に思いを馳せると、心が安らぐ。この地球は大丈夫だという思いになる。

できれば、読者にはこの章の太文字の文だけでも声に出して繰り返し読んでみていただきたい。それらは全て私の生命感覚が捉えた事柄だ。だから、それらの言葉は読者の生命感覚に響くようになるかもしれない。そして「いのちの世界」と繋がるきっかけとなるかもしれない。

私は「いのち」という、この喩えようもなく奇すしく、比べようもなく尊い神様からの賜り物に手を合わせて日々拝んでいる。

「いのち」は私にあって私を遥かに超えた存在である。

私は、今ここに「いのち」あることを神に感謝して、これからの日々を大切に生きていきたい。