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「地球憲章」

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合資会社大家族のキャッチフレーズを今年から「循環と共生の生態系農業を!」としました。そして、守るべき指針をどうしようかと考えあぐねていたら、「地球権」という言葉が頭に浮かびました。さらに考え続けていたら、「地球憲章」という言葉が頭に浮かびました。そういうのって、なんとなくもうありそうだなあと思い、試しに、インターネットで検索したら、一発でずばりそのものがでてきました。やっぱりちゃんとあるんです。「地球憲章」。

これは、21世紀の持続可能な未来に向けての価値と原則が分かりやすく書かれた、人類共通の指針です。みなさんはご存じでしたか?

合資会社 大家族 も私個人も今後この「地球憲章」を真摯に受け止めて、一つ一つの考えや行動を可能な限りそれに合致し,沿ったものにしていきたいと思います。

以下にその目次のみ掲載します。

詳しくは、地球憲章のHPをご覧ください。

http://earthcharter.jp/about/download/

小川 誠

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「地球憲章」目次

 

 

 

何が種を成長させるのか

有機農業映画祭

 

武蔵大学で開催された国際有機農業映画祭に行ってきました。そこで上映された最初の映画の題は「What makes the seed grow?」,日本語の題は「種をつなぐ人々」。アメリカで巨大種子会社を相手に在来種を守ろうとしている人々の戦いを描いたドキュメンタリーです。

在来種に押し寄せる危機をひしひしと感じさせる映画でした。そのことはまたほかの時に触れたいと思います。今日は、その映画の題となった問い、What makes the seed grow? (何が種を成長させるのか)について考えてみたいと思います。

 

映画では、お母さんと一緒に種をまいた女の子がおかあさんにそんな質問をしました。すると、長く有機農業を生業としてきたお母さんは言葉に詰まってしまいます。同じ問いを有機農業にかかわる多くの大人に発すると、やはり多くの大人は答えに窮してしまいます。

中には、やっと答えをひねくりだした人もいます。

「それは哲学的な問題だ。」

「それは一種の魔法だね。」

「種が種を育てるのよ。」

などと、ほとんど答えになっていません。

みなさんなら、その小さな女の子の問いにどう答えますか。

 

すると、世界的な環境活動家で、在来種の保護の第一人者でもある、インドのバンダナ・シバさんがこう答えます。

Life makes the seed grow. ( 命が種を成長させる。)

私もそう思います。

 

それでは、バンダナ・シバさんの答えをヒントに、私なりに女の子の質問に答えたいと思います。

バンダナ・シバさんが言う「命」のことですが、生命は本来宇宙的な現象ですが、わかりやすくするために、私は「地球生命体」というふうに絞り込みたいと思います。それは物質的な地球に対して、目に見えないもう一つの地球、すなわち、地球のすべての生命の源である、生命としての地球ことです。ですから、平たく言うと、

地球生命体が種を育てる

というのが私の答えです。

それをもう少し詳しく説明します。

 

まず、種は命そのもののように見えますが、基本的な性格を言えば、「生命の設計図」であって、それを作動させる最小限の機械が備わったものです。言い換えると、その種の一生に関するDNAを貯蔵し、それが作動する回路と最小限の動力部分を備えたものです。

例えば、テレビを動かすには、電気がいります。電気があって初めて、テレビはテレビの機能を果たします。それと同じように、種を機能させるには、水と温度が必要です。だから、種そのものは、動くもの=命ではありません。

種は基本的には生命の設計図だから、500年、1000年、地下に埋もれていても、条件が整えば、芽を出すことができるのです。種が命だったら、そんなに長生きはできないと思います。

 

しかし、例えば、私たちが主食とする稲の種=玄米は、その「命の設計図」に栄養分がたっぷり組み込まれています。それを、水につけると発芽します。だから、玄米は一つの命だと言っても日常生活においては問題はなく、また間違ってはいません。

 

しかし、正確に言うと、その玄米あるいは、殻のついた籾は、適度な温度と水がないと、永遠に発芽できません。つまり、生きた命とはならないのです。そこのところが非常に重要な点です。その時、玄米に何が起きているのでしょうか?

私は、水の精霊、そして温度は火の働きですから、火の精霊、その両者が種の中で出会うとき、地球生命体が種の中に命を導き入れることができるようになるのではないかと考えています。それは大変神秘的で、聖なる瞬間だと思います。

ちょうど、天地創造の神が土から人を作り、そこに生命の息を吹きかけることで、アダムが生命を得て、人間となったたように、一粒の種は、水の精霊と、火の精霊と、地球を包み込む、地球生の命が同時に種の中で出会うことができたときに、「生命の設計図」が作動して、一つの生きた命になるのです。

種をずっと見つめてきて、私は今そのような理解をしています。これはいわば小川仮説ですね。

 

ただ、このようなことをあの女の子に説明しても、わかってもらえないでしょうね。

だから、バンダナ・シバさんの答え、「命が種を育てるのよ。」を少しだけ言い換えて、「地球の命が種を育てるのよ。」と言えばいいのだと思います。

 

なお、ジャガイモ、サツマイモ、サトイモ、など、茎で増える作物があります。これらも種ですが、生きた細胞がそのまま増殖するので、クローンです。それは、また異なった成長の仕方をします。上で検討した種は、花を咲かせて受粉してできる種のことです。

 

 

 

有機肥料の力

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一寸長くなりますが、「農」に関心ある方は、よろしければお付き合いください。

なぜ作物を栽培するのか。それは、自分や家族の命を養い、その命を繋ぐためです。人類はそのために自然に手を加えて、田んぼや畑を作ってきたわけです。だから、種を播いたら、どんなことがあっても、なにがしかの成果を出して、つまりなにがしかの収穫を得て、自分や家族の命を養えるようにならないといけないと思います。

ここに「農」の営みの原点があり、栽培の最大の目的があり、栽培者の最低限の責務があると考えています。

巷で耳にする様々な農法や栽培技術は、その原点と目的と責務を実現するための参考であり、方便です。

ところが、往々にして、そのような農法や栽培技術の正しさを実証するために作物を栽培すると言う本末転倒が起こりがちです。知識優先の関わり方をする人が少なくありません。

しかし、そのような知識や技術を通してしか作物を見なくなると、今目の前にある作物がどのような状況になって、何を欲しているのか、わからなくなってしまうことがあります。作物を育てるということは、本来、自分の命と作物の命の交流や響き合いの中で、自分の収穫の願いを叶えてもらうために、作物に今何をしてやればいいのかを問いつづける営みです。 そこには本来農法も農業技術も知識も不要なのです。それよりもずっと大切なのは、作物を労わる気持ちや作物との対話、そしてその作物の命の働きを感じ取る感性を磨くことです。

最近、気になっているのは、どうも広義の自然農法や自然優先の農業技術の中に肥料を与えないこと,つまり、無施肥が理想のように言われていて、それを実行したいと思っている人が増えているらしいということです。消費者もそういう野菜のほうがいいんだという漠然とした印象を持っている人が増えているようです。

しかし、肥料を与えるか、与えないかという選択は、上で述べた「作物を労わる気持ちや作物との対話、その作物の命を働きを感じ取る感性」が決めるべきものです。栽培の初めから無施肥にすると決めてしまうと、その土地の状況によって、とんでもない結果、つまり、極端な生育不良になったり、病虫害に犯されたりして、無収獲という結果を招くことにもなりかねません。

土地の健康度や肥沃度も知らないで、無施肥でやるんだと、ずっとこだわっていると、何年やってもまともな収穫が得られないという、失敗続きになることも起こり得ます。すると、栽培の最大の目的であった「自分や家族の命を養うこと」ができなってしまうことになります。

ですから、私は、栽培者は「種を播いたら、なんとしても収穫を得るんだ。」という、収獲への執念を持たないといけないと思います。そのためにどんなにひどい土地であっても、悪い環境であっても、作物と良く対話して、作物の望みを叶えられるように、肥料を上手に投入するなど、様々な知恵を働かせ、工夫を加えることが栽培者の第一の務めになるのだと思います。

前置きが長くなってしまいましたが、上のなすの写真を見てください。この写真は12月1日に撮影したものです。まだ、こんなに稔っています。普通なら、10月中旬でなすの収穫は終わります。今年は7月、8月の異常気象でなすも相当痛めつけられたので、収獲終了がもっと早くなっても不思議ではありません。

しかし、私は異常気象の間にも例年通りナスの様子を見ながら追肥をやり続け、活力剤を時々散布しつづけたところ、9月下旬からなすはだんだん元気を取り戻し、10月になってもどんどん新しい葉を茂らせました。

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気が付けば11月になってもとても元気で、つやつやした実を成らせ続けました。

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そして、例年より暖かい11月だったことも味方して、気が付けば今年のナスは霜でやられるぎりぎりの11月末まで成り続けたのです。これは私の畑では最長記録です。

これを可能としたのが有機肥料です。有機肥料はこんな力があるのです。

今後、異常気象が常態化して激しさを増していきます。また中国から汚染物質が大量に飛来して、大地をどんどん酸性化しています。そのような現実を踏まえると、その土地が持っている”自然力“だけではどうにも太刀打ちできない事態が増えていくに違いありません。そういうときに、その弱点を補ってくれる最大のものが肥料です。その力を上手に活用することで栽培できる作物の種類は格段に増えるし、栽培期間も伸ばすことが可能となります。

私は無肥料栽培も有肥料栽培も両方行っていますが、どちらで栽培するにせよ、肥料の力について正しく知っておくことが必要不可欠だと思います。それを上手に使いこなせるようになるのが、「和み農」の第6番目にある「技能を磨く」ことに通じます。

ついでに、12月1日時点の不耕起栽培のトマトの様子もご紹介します。無施肥だったら、9月以降全く実を付けなかっただろうと思います。

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小川

 

 

円熟米は文句なしにおいしい!

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この3か月の間に円熟米を発芽玄米にして100人以上の人に試食してもらいましたが、ほぼ全員がそのおいしさに少なからず驚かれていました。発芽玄米は玄米と違って柔らかくて食べやすいのですが、なぜか円熟米の甘さや旨味がとても良く引き出されます。発芽して新しい命になるからでしょうか、とても新鮮で、古さなどさらさら感じさせず、何とも言えないおいしさを味わうことができるようになります。円熟米の発芽玄米を食べると、もう新米の発芽玄米では全然物足りない感じがするほどです。味に敏感な主婦は「今までに味わったことのない味がする」とおっしゃっていました。

でも、別に発芽玄米にしなくても、玄米でも精米しても、円熟米の甘み、旨みは際立っています。

この、時間という宇宙的な働きが作り出した、地球の自然が味付けした、本来のお米のおいしさをぜひみなさんにも味わっていただきたいと思います。

強調したいのは、1年たった本来のお米は全く古米とは別物だということです。昔ながらに ①有機栽培で、②天日干しで、③籾貯蔵 をすれば、お米は時間とともにゆっくり熟成して行って、一年たつと、甘みも増して、円熟した味のお米になります。すなわち、円熟米になるのです。ところが、現代のお米は一年も経たないうちに味が落ちて、古米となってしまいます。それは、現代の大規模機械化農業と食品流通業界が作り出した、コンバインによる収穫方法と大規模精米プラントによる保管・流通システムのせいです。

さて、そこで、みなさんが円熟米をお試ししやすくするために、玄米2㎏入りを用意しました。価格は以下の通りです。

いのちいきいき米 円熟米 玄米 2㎏ 1,490円 (白米 1,635円)

送料 全国一律 360円

合計 玄米1,850円 (白米 1,995円)

 

ご注文は、メッセージか、以下メールでお願いします。

daichitotomoni@gmail.com

発送は受注確定後、4,5日以内に行います。

お支払いは、商品受け取り後2週間以内に銀行振り込みでお願いします。

ご購入後1か月以内なら、食べてみておいしくなかったら、返品(代金 大家族負担)、払い戻しに応じます。

おいしいと確信されたら、ぜひ今年のお歳暮にもご検討、ご利用ください。

目先の変わった贈り物として、きっと喜んでいただけるものと確信いたします。

また、これを機に発芽玄米炊飯器をご購入されれば、ご家族の健康維持に抜群の効果を発揮することと思います。

小川

なぜ今、円熟米なのか

●円熟米の売り上げが激増
円熟米は去年の9月と10月に初めてサガミックスと言うお店で売り出しました。その時は全く知られていなかったので、試食していただいても、一年前の古米だということで、買ってくださる人は僅かしかいませんでした。しかし、2年目の今年は全く違います。9月の売り上げは去年の4.3倍と激増し、10月は去年の6.4倍にも膨らみました。世間は新米の話で持ちっきりの時期にお客さんが進んで円熟米を手にするようになってきたことがわかります。円熟米の良さがだんだん認められるようになってきたと、とても喜んでいます。

●円熟米で食糧備蓄を増やせ
さて、なぜ私が今円熟米について何度も何度もしつこいまでに触れるのか、今日は天下国家の大計の観点から話をします。
現在の日本人が抱いている「新米―古米観」では、民間で十分な備蓄ができません。なぜなら、日本全体の備蓄という観点でみると、お米は収穫の時に国民を一年養う量があっても、収穫直前の7,8月には2,3か月分しか残っていません。しかも、古米ですから、誰も喜んでは食べません。もし、その時期に食糧危機が起こって、輸入が完全に止ってしまったら、向こう数カ月の間にも巷には餓死者が溢れることになりかねません。なぜなら、国産の米だけでは5500万人しか養えないからです。

政府の備蓄米100万トンがあるとはいっても、我々国民にはいつどこでどうすれば、食糧危機の時にその備蓄米の配給に預かれるのか、何も知らされていません。そんなお米が非常事態に当てにできるなんて考えないほうが賢明でしょう。

しかし、日本人が 円熟米の価値を再認識して、米は時間の経過とともに、新米→円熟米→古米の課程を踏むと考えるようになって、「新―熟―古米観」(シンジュクコマ観)を抱くようになれば、お米は一年間備蓄してから食べるのが普通になるかもしれません。すると、新米が出回る9,10月には一番理想的なケースでは、民間の備蓄は2年分あることになり、一番少ない7,8月でも1年分以上が備蓄されていることになります。
こうなれば、いつ何時食糧危機が日本を襲っても、1年間ぐらいはほとんど餓死者を出さずに乗り越えられる可能性が高まります。

●玄米貯蔵では古米に、籾貯蔵なら円熟米になる
そのためにどうすればよいのかというと、おそらく玄米貯蔵を籾貯蔵にするだけでいいのです。籾貯蔵にすれば、化学肥料米であっても、お米は少なくとも一年間は熟すようになるのではないかと想像しています。有機米なら、2年、3年と長きにわたって熟成するものと想像しています。現在流通しているお米の大部分は玄米貯蔵です。それは精米施設の大規模機械化の産物です。でも、それではお米の寿命はたったの1年しかなく、食糧危機に備えることができません。江戸時代には、どの藩も籾で貯蔵し、1年分か2年分の米や雑穀などが備蓄されていました。日本は民間で早急にそういう体制を復活させないと、いつ来るとも知れない食糧危機のときに、大悲劇を招く恐れがあります。
だから、今円熟米なのです。

畑では心を全開にして

 

畑に入るときは、どのような心構えで入ったら一番いいのでしょうか。私は心を全開にして入るのが一番いいと思っています。すると、畑の生き物たちのその場の雰囲気がすっと心の中に入ってきます。そして、その時の第一印象と言うのは、かなり確かなものです。
例えば、下のキャベツの写真を見てください。みなさんが見ても、ただのキャベツの写真にしか写らないでしょうが、その光景を見たときに私の心に瞬時に入ってきたものは、キャベツ君たちの気分でした。〈ぬくい、ぬくい。〉キャベツ君たちがそう思っていることがはっきりと感じられました。

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〈あ、スタッフが藁を敷いてやったから、喜んでるんだな。それはよかった〉。後から、そのような私の判断が生じます。そうなんです。最初に心で感じて、その後から頭で言葉を使って判断が生じる。
こういう順番だと、判断に間違いがありません。命と命の触れ合いと言うものは、人と人とであれ、人と作物とであれ、心で感じることを優先できるようになれば、正しい判断ができるようになりますね。
ただ、そのためには、心を愛情で温めておいたほうがいいですね。
私はなぜか作物にはそうすることが簡単にできるのです。でも、人間相手ではなかなか難しいことが多いですね。

食べられるものの価値と「農のある生活」の関係

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(小粒のサトイモ。売るには手間がかかる。)

農業をやっていてつくづく勿体ないなあと思うことの一つに、大きすぎたり、小さすぎたり、色や形が悪かったり、虫が食ったりして、売り物にならない野菜や豆やお米がたくさんあることです。それらの多くは廃棄されてしまいます。自家用に食べたりもしますが、一軒で食べられる量には限界がありますから、捨てる量の方が圧倒的に多くなります。

私のところでは、お米だと、だいたい全体の1.5~2%程度で、作物の中では一番廃棄率が少ないと思います。それでも、5トン生産すれば、75㎏から100㎏にもなります。確かに味は少し落ちるでしょうし、小粒なので食べずらいと言うこともあります。しかし、家族のためにだけお米を作っているのだったら、勿体なくて、大事に全部食べるでしょうね。
野菜だと、見当で言いますが、全体の10%から15%ぐらいだと思います。できるだけ廃棄処分にしないように、盛んにお裾分けをしたり、不揃いでも値段を下げて売ってみたり、あれこれ工夫をしているので、その程度で済んでいるのです。
そういった工夫の極めつけは、“虫食いあり”とうもろこしです。実際に売ってみたら、お客さんはちゃんと承知して買ってくれました。その時は感動しましたね。

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(恰好が悪かったり、ネズミがかじったりで、売れないサツマイモ。)

さて、一体日本全国でどれくらいの量の野菜が廃棄されているのかと言うと、どこかで読んだのですが、なんと全生産量の4割にもなるそうです。途方もない量ですよね。大規模に栽培しているところほど、廃棄率も量も増えるのではないかと思います。何とも何とももったいない話です。

国民一人一人が大なり小なり、自分の畑と田んぼを持っていて、それが国民生活の基本的な営みとなれば、そういう無駄はほとんど一掃されるのではないかと思います。自分が育てた野菜なら、虫が食っていようと、色が悪かろうと、必ず食べますよね。例えば、国民総幸福度(GNH,Gross National Happiness)が97%と世界一を誇るブータンでは、きっと国民の農地保有率もとても高いだろうと推測しています。
そのブータンでは、あるとき、今のアンチュク国王が巷で国民の声をじかに聞いた時、ある老人が自分には作物を作る土地がないと訴えたら、なんと国王が土地を(買って?)与えてくれたそうです。私もそういう国に住んでみたいですね。GDPはもううんざりです。

作物を育てて、それで作った料理を食卓に載せることは、大地に根差した生活で、それは日々の平凡でも幸せな生活に不可欠な要素だと思います。

今の農地に関する法律はがんじがらめで、矛盾だらけで、市民にはなかなか土地を借りることもままなりません。しかし、農家がその気になれば、状況はいかようにも変えられると思います。例えば、貸農園や体験農園がそれです。特に大都市周辺の農家がそのような気になってくれれば、遊休農地がどれだけ生かされて、市民の幸福作りに貢献できるか、計り知れないと思います。行政ももっともっとそういう視点から、足元にある遊んでいる土地の有効活用を真剣に考えてほしいですね。

無肥料栽培にこだわらない 

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自然農法にあこがれる人は、無農薬・無化学肥料はもちろんのこと、耕さなくても作物は育つことや、無肥料でも育つことに感銘を受けて自分でもやってみたいと思う人がとても多いと思います。私のその一人でした。
しかし、今ではそれはどちらでもいいことなのだと思うようになっています。

 例えば、今年、無肥料栽培の不耕起の畑のトマトではこんなことがありました。
そこは、連作3年目の場所です。トマトは一度作付したら3,4年は作らないほうがいいと言われているので、既にその時点で私のやっていることは常識外れです。しかし、7月後半から収穫が始まって1か月はゆっくりですが、とてもいいトマトが稔り続けました。異常高温が続いていましたが、トマトに異常は見当たりませんでした。大玉は1個200円でも売れるほど美しく、しかも自然な優しい味でした。この時点で自然農法はとてもよく機能していました。

しかし、お盆の頃から次第に葉の色が薄くなってきて、成長も鈍化して、辛そうに見えてきました。折しも、日照不足と、トマトが大嫌いな長雨と低温の日々となって、成長はピタッと止まってしまいました。 私は異常事態、緊急事態だと判断してトマトに自家製肥料をたっぷり与えました。

 

すると、異常気象の中でも徐々に葉色は緑色に戻り、止ってしまった成長が始まり、だんだんと茂るようになって行きました。しかし、花も咲かず、なかなか実はつけませんでした。お彼岸の頃になると、本来の秋らしい陽気に戻りました。一般的には、その頃までにはトマトの収穫は終わって片付けられてしまいます。しかし、私のところのトマトは花を咲かせて、ゆっくりとですが実を付け始め、そして枝葉を伸ばして、元気に成長を続けました。

そして、10月も後半になった今、不耕起栽培のトマトは、写真のように、ずいぶん沢山の実が色づきそうな気配です。
今ではすっかり元気を取り戻しています。

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この事例から様々なことを学ぶことができますが、一番大切なことは肥料のお蔭でトマトは復活したということです。8月の時点で、もし私が自然農法だから無肥料でやるんだとこだわり続けていて、肥料を与えていなかったら、トマトはもう全く実を結ばなかったのは確実です。異常事態が起こったときに栽培者は医者や介護士のような立場と同じで、その命を守るために最善を尽くすべきだと思います。命の危機を前にして、自分のこだわりを持っていたら、その命を救うために、その命に一番必要な対応をすることができなくなってしまいます。そこに、農法にこだわり、農法に囚われる際の大きな問題があります。

そして、二つ目の学びは、上手に育てれば、(ゆっくりですが)トマトは10月の終わりになっても実を付ける作物だと言うことです。トマトは本来とても息の長い作物です。また、意外と寒さにも強い作物です。たぶん11月の終わりまで、霜の降りるまで、実を付け続けると思います。

トマトとは、7月から11月まで“長~いお付き合い”をしようぐらいの気持ちで、その命を見守って、面倒を見てやるとうまくいくように思います。とは言いながら、毎年いろんな失敗を繰り返している私ですが・・・・。

円熟米の発芽玄米に唸る主婦の方々

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私のところの野菜やお米を出している小田急線相模大野駅前のお店サガミックスでは月に一度野菜の朝市を開きます。今日は一年半ぶりにそこへ出かけて行って、円熟米のPRをしてきました。

円熟米の発芽玄米を小さな塩おにぎりに握って、33個用意して、お客さんに試食してもらいました。お店ではお客さんの反応がとても面白かったです。1時間半の間に38人前後が試食してくれましたが、9割がたは家庭の主婦でした。食べてから、たいてい「味付けは?」と聞くので、「塩をちょっとまぶしただけです。」と答えると、面白いことに、その言い方が似ていて、なんというか、ちょっとウーンと唸るような感じで、お腹から出すような低い声で「おいしい」と言うのです。深い所でジーンと感じているのがなんとなくわかります。なんとその方たち全員が「おいしい」と、感想を述べてくれました。

そこで、「これは有機栽培のお米で、一年間倉庫で熟成させたお米なんですよ。」と言うと、みなさんさらに一段深みに沈んでいくような感じで、「そうなんですか。」と静かに驚かれていました。多分味わったことのない味で、しかも聞いたことのない話しだからじゃないでしょうか。そこにわたしのほうで付け加えて、「一年たっても、古米じゃないんですよね。」と笑顔で言うと、皆さん〈ほんとにそうだわ〉と言う表情で頷かれていました。

その後は、発芽玄米の作り方を質問される方がとても多かったです。最後に円熟米のチラシをお渡しして、「お米はあちらに置いてありますので、よろしかったらどうぞ。」と伝えました。そうやっておにぎりが全部さばけて、終わった時の私の気分としては、「やったあ!」という感じですよね。円熟米の良さを知ってもらえて、本当に出て行ってよかったと思いました。

最近、「大家族」の新米が収穫できたので、新米でも発芽玄米にして食べてみました。それも確かにおいしいですね。しかし、「待てばもっとおいしくなる」と言う印象を拭えません。そして、やっぱり、新米よりは円熟米の発芽玄米の方がおいしいのです。

みなさんもどうぞぜひ一度円熟米をお試しください。間違いなく、一年熟成させたお米ならではの味があって、その良さが発芽玄米にするととてもよくわかると思います。
玄米5kgで 3,450円
白米・五分搗き米  3,720円
送料 関東・東北・関西まで 450円
それ以外は650円です