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農薬は選択肢にない

私は農薬を使うことは選択肢にありません。なぜそうなのかと、煎じつめて考えると、理由は二つしかありません。一つは、マネー資本主義が今世界中でやっていることと、現代農業が自然界の生き物に対してやっていることが全く同じだからです。つまり、どちらも弱きもの、声なきもの、言うことを聞かないものを自分勝手な論理で圧倒的な力で叩き潰しています。農業において、大量殺戮兵器である農薬はその象徴です。そうして生まれた弱肉強食の世界は歪みに歪み、狂いに狂っています。それを少しでも元の健全な姿に戻すには、そうやって虐げられ、排除され、踏みにじられた弱者をしっかり守って復活させるしか他に方法がないと思います。つまり、農地は人間の作った屋外作物生産工場ではなくて、自然環境だと捉え直す必要があります。そして、その自然環境を守っていく決意をしなければなりません。その具体的な最初の行動が農薬を使わないことです。だから、環境再生運動として農業を営んでいる私には農薬を使うという選択肢はありません。

ですから、ぜひ消費者の皆さんに理解していただきたいのは、農薬のかかっている野菜を食べるということは、結果的に「強者」の行為を支持していることになります。そして、農薬のかかっていない野菜を食べることは、他にも条件がつきますが、基本的に「弱者」の側に立つことを意味するという点です。

それから、私が農薬を使わないもう一つの理由は単純です。農薬の知識がないから、農薬を使わないのです。自動車の運転の仕方を知らない人がずっと運転しないのと同じです。時に、無知であることはとても良いことです。農薬のような恐ろしいものをちゃんとした知識もなく使うことは厳に慎むべきだと思います。中国野菜が怖いのは、正に何の知識もない農家が自分の経験だけで農薬を使いこなしているのが普通だからではないかと想像します。また、そう考えると、かつて農薬を使ったことがある農家が有機農業に切り換えた場合、様々な場面で大変な葛藤があるだろうと思います。農薬の絶大なる力を知っているからです。

ですから、これから有機農業で就農したいと考えている人は、

「農薬のことは知らない、触れない、使わない」

を三原則として就農されたらいいと思います。

小川 誠

虫がついたらどうするか

「大家族ではどうして農薬を使わないのか、虫や病気が発生したら、どうするのか」と聞かれることがあります。答えは「どうもしません。どうしてそうなったかを考えます。すると、何が原因だったかがわかります。わからない時は、頭の中の質問箱に入れておきます。」
実際、その積み重ねで19年やってきました。そのおかげで自然界の仕組みや作物の性格がいろいろとわかってきました。そういう体験から、「農業は不断の学びと気づき」だと思います。それが楽しくてしょうがありません。
ただ、今のところ、大豆につく虫だけは、数百匹単位でやってきて、そのあまりの強烈な食欲で葉をすべて食い尽くしてしまうので、その光景を見ると呆然としてしまいます。それで、心を鬼にして全部手で捕まえて殺しています。ここでは私はまだ経験も勉強も足りません。ただ、どういうわけか全部の畑ではなくて、ほんの2,3枚の畑だけにその虫はやってきます。それが自然界の微妙なバランスなのかもしれません。
小川 誠

真冬を乗り越えた去年の稲

3月8日に今年の自然耕塾が始まりました。雨交じりの寒い朝でしたが、ようやく一年ぶりに再建されたビニールハウスの中で講義ができたので、ありがたかったです。

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(建設中のビニールハウス)

午前中は不耕起冬期湛水稲作の全般的なことをお話しさせていただきました。そして、午後は雨も止んだので、実習田の田んぼの水の水源を見に行くことから始めました。自分たちが稲を育て、冬季湛水をする水の源の泉を見ることで、「この水をいただいて、米作りができるのだ」と思うと、その泉があることに感謝の思いがこみ上げてきます。

そのあと、今の田んぼの状況を観察しました。すると、もう幻の藻サヤミドロが発生していました。

 

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ミジンコも泳ぎ回っていました。そして、驚いたのは、枯れていると思った稲がまだ生きていたことです。

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(すっかり枯れた稲の地上部)

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(ところが、株の一部が緑色になっている。まだ稲が生きている証拠)

寒さの中で鍛えるのが自然耕塾の苗作りの基本ですが、その苗の底力を見せつけられた思いがしました。去年、スズメに完全に食い尽くされた田んぼだったので、稲を刈るのも嫌になって自然のままにほったらかしていたのですが、まさか稲がそのような再起の機会を窺っていたとは、知りませんでした。その稲株を一部で刈ったところ、なんと三日後に葉を出し始めていました。春まだ寒いこの時期にです!2度目のびっくり現象です。

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(切った株から細い葉が伸び始めている)

さあて、この稲がどうなるか、実りをもたらすか、今年もまた新しいドラマが展開しそうで、わくわくしてきました。

小川

大家族の安全野菜表示

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大家族では生鮮野菜は相模大野駅北口前にあるショッピングモール”ボーノ”2階にある地場産品のお店サガミックスでしか外販はしていません。あとは全部個人宅配です。そこで売っている野菜は写真のように農薬と化学肥料は一切使ってないことを証すラベルを全ての袋に貼ってあります。「一切」に大家族の心意気を込めています。そうして、自宅に帰って料理をする前に今一度安全な野菜であることを確認してから、安心して料理をしたいただきたいと思っています。この方針がお客さんに受け入れられたのでしょうか、最近ではそのラベルを見て、迷わずにさっさっさと選んで行かれる方がとても多くなっています。

環境の世紀に相応しい農法

21世紀、環境の世紀に相応しい農法がまだありません。
20世紀までは畑や田んぼ、あるいは果樹園の中で何をどうするかだけを考えていれば、それで済んだかもしれません。しかし、地球環境問題がここまで深刻になっている今、私たちは地球的視野に立って、地球市民として、畑は草地の自然環境として、田んぼは水辺の自然環境として、果樹園は林の自然環境としてとらえ直して、正しいかかわり方を考えていく必要があります。上手にかかわれば、そこは生物多様性のある2次的な里地里山的な自然環境として蘇ります。そして、そこで得られる自然の恵みは、生産者と消費者という垣根を取り払って、自然の恵みを分かち合い、互いの命と生活を支え合う、和やかな人的環境とすることも可能です。それは、田畑の中と同じかそれ以上に大切なことです。「和み農」はそのような考えに基づく、21世紀の農法というか、「農」に親しむ人、「農的な生活」を楽しむ人、しいては専業農家にも十分通用する、「農」の指針のたたき台です。
大勢で大いに叩き合って、21世紀に相応しい指針を作り出したいと考えています。
「和み農」では以下の8つのことを大切にしています。
1.全ての生き物と共生し、
2.環境と調和して、
3.排出ガスを最小限に抑え、
4.作物と心を通わせ、
5.資材を循環させて、
6.技能を磨き、
7.“本当に安全な作物”を作る
そして、
8.神への祈りから始める

 

小川

同じ藻でも色が違う

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(盛んに酸素を生産中のサヤミドロ)

あまり目もくれない藻の話ばかりで恐縮です。もう一つだけ。
田んぼでは代掻きの後で藻が発生します。すると、農家は除草剤を撒いて藻を退治します。それから、田植えをするのが普通です。その藻の色は赤茶けた色だったり、黄色から緑になる,そのあたりの色だったりするのですが、一言でいうと、美しくありません。ところが、有機栽培の田んぼに発生する藻は、同じ種類の藻でもきれいな緑色をしています。そして、その緑が輝いている点も違います。
ですから、田んぼを見ても、そこが農薬と化学肥料の撒かれている田んぼであるか、有機栽培の田んぼなのか、私たちには即座に判別することはできませんが、藻を見れば、すぐにわかってしまいます。

 

光合成の神秘

今から30数億年前に誕生したシアノバクテリアは酸素がなくても呼吸をして、葉緑素を使って酸素を作り出したと、さりげなく言いました。それは光合成のことですが、言わずもがな光合成では同時にでんぷんも作り出しています。さて、その葉緑素ですが、私たちは木や草の緑は葉緑素だと知っているから、シアノバクテリアに葉緑素があっても別段驚かないかもしれません。しかし、そこに葉緑素がなかったら、生物の進化は何も起こらなかったわけですから、葉緑素の誕生は進化の歴史の中で最も重要な出来事と言ってもいいのかもしれません。葉緑素で行われている光合成の仕組みは現代科学の粋を以てしても未だに解明できない神秘のベールに包まれています。スーパーコンピュータの出現でヒトの遺伝子がすべて解読されたこの時代にあってもです。その複雑で、高度に洗練された生体メカニズムは”魔法”と呼ぶにふさわしいものです。例えば、植物の葉に当たる太陽光線はなんと数千兆分の一秒という速さで処理されるそうです。数千分の一ではありません。数千万分の一でもありません。数千兆分の一秒です。このような驚異的な速度を何と形容すればいいでしょうか。言葉がありません。だから、魔法?でなければ、神のなせる技、神技?
太陽光が地球に1時間注ぐエネルギーは全人類が1年間に消費するエネルギーと同じだそうですが、それをもっとも効率よく利用しているのは、我々人類が発明した太陽光発電ではなくて、葉緑素です。なにしろでんぷんというバッテリーがなくても貯蔵できる生命エネルギーに変換してくれるのですから。そんなわけで、「和み農」では、藻の葉緑素を、野菜や木々の緑を、一種畏敬の念を以って見つめます。

やっとハウスが復活する!

去年2月の大雪でハウスが潰された。建ててからたったの10か月。ピンぴかピンのハウスだった。中央がぺちゃんこになって、使い物にならなくなった。
山梨、神奈川、埼玉、群馬、そして栃木で潰れたハウスは一万数千棟に及んだ。被害総額も史上空前で600億。潰れたハウスの隙間を使って、夏野菜の苗作りをやってみたが、見事に失敗した。雨露をしのぐ物置としても重宝していたので、一年間不自由を強いられた。        それでも私のはかわいいもんだ。面積はわずか110㎡。あちこちで1000㎡、2000㎡といった大型ハウスがガンガン潰れた。今もって、復旧したのは、全体のやっと6割程度。ハス栽培だけで食っている農家も大勢いる。2年目もハウスで生産できない農家が4割もあるのだ。同情を禁じ得ない。                                   関東や山梨を襲った大災害に国と県が救済に動いて、解体と再建費用の9割を負担する。ああ、やれやれ。
合資会社 大家族さんの写真
合資会社 大家族さんの写真

藻に見る天地創造神の指先     その2

から植物の進化の歴史を遡って、びっくりしたことをもう一つご紹介します。ご存じのように、太古の時代、最初の生命は海の中で生まれました。不思議なのはその頃植物がまだ誕生していなかったので、大気中に酸素はありませんでした。酸素がないから、生命は生きられません。しかし、それではいつまでたっても地球上に生命は誕生しません。さあて、どうしたものか?天地創造の神様は全知全能の神様ですから、悩むはずもなかっただろうと思うのですが、奇策を講じました。酸素がなくても息をしてちゃんと生きることができて、しかも酸素を作り出す微生物をその指先で創造されたのです。それがシアノバクテリアと呼ばれる藍藻類です。シアノバクテリアは植物ではなくてバクテリア=細菌なのに、なんと体内に葉緑体を持っています。それで当時たっぷりあった二酸化炭素で光合成をして酸素を作ることができました。そのおかげで、後に続く「生き物」は酸素を吸って呼吸をすることができるようになりました。よく世の中では、「鶏が先か、卵が先か」という議論がなされますが、生命の進化の歴史の最初にはそれがありません。「呼吸が先か、光合成が先か」という議論では、最初だけは例外だという答えになります。神様はいきなり酸素がなくても呼吸をするシアノバクテリアを造って、その後の進化の歴史においては、全て理屈に合うようにした、すなわち、呼吸と光合成が同時にできるようにしたのです。つまり、「いきもの」=「息物」=「生き物」と言う等式が成り立つようになったのです。(ただし、異論もあります。つまり、生命現象ではなく、自然現象で水から酸素が微小ではあるが作られていて、それを吸っていたという説もあります。)
さて、下の写真はスペースシャトルから撮った写真です。北太平洋の海中で光合成をして海を緑色に染めている植物プランクトン(=藻)です。そうして放出している酸素の量が、記憶が正しければの話ですが、地球全体の酸素生産量の4分の一にも上るそうです。藻に感謝しないといけませんね。(なお、凡人の浅学ゆえ、間違いがあれば、遠慮なくご指摘ご指摘ください。)
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小川 誠

藻に見る天地創造神の”指先”

アダムの創造

みなさんもこの有名な絵を見たことがあるでしょう。『アダムの創造』と題されるミケランジェロの大傑作一つです。天地創造の神が土から造られたアダムに霊魂と生命をその指先から放電するかのように注入している場面です。私はこの絵が大好きです。ここで示された天地創造神の指先の力は当然ながら、他の生命の創造においても発揮されています。

「「和み農」では、一番大切なこととして「全ての生き物との共生」を挙げています。それで、生き物の進化にも関心があって、その歴史を遡って最初の生命の誕生に突き当たると、驚くべき事実に直面します。   幻の藻サヤミドロとの共生の仕方をご紹介しましたが、そもそも藻は海の中で最初に酸素を作り出した、いわば私たち動物の恩人です。その原初の藻の一族に珪藻類があります。その電子顕微鏡写真を見ると、その微に入り細を穿つ完璧な幾何学文様、その高度に洗練された芸術的な美しさに圧倒されます。(写真はBBC地球伝説から取ったものです。)

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これは自然現象であって、偶然の産物でしょうか?とてもそうとは思えません。それはDNA配列の素朴な幾何学的な模様を遥かに凌ぎ、ナノテクも到底及ばない、天地創造神の指先の技としか思えません。その御方はどのような意図で目に見えない極微の世界にこのような作品を造られたのでしょうか。我々人類が電子顕微鏡を発明する日が来るのをちゃんとご存じで、その日のために20億年、30億年前にこのような”遊び”をされたのでしょうか。本当に不思議でなりません。

小川 誠