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バインダー様、様

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(一条刈りバインダー)

稲刈で欠かせない道具が、鎌です。ただ、それでは、一人で一日やっても2畝(200㎡)ぐらいはざかけできるかどうかという感じですね。大家族の主力はバインダーです。それを使うと、どんどん刈って、束ねて、稲束をポンポンと脇に投げ出してくれます。何とも器用な機械だと、毎年感心します。おそらく日本人が考え出したのだと思いますが、こういうことを考えだした技術者には会ってお礼が言いたいですね。バインダーが描き出す幾何学模様を見るのも、稲刈りの楽しみです。

2条刈りバインダー

(二条刈りバインダー)

そのバインダーですが、1条刈りだと、人力20~25人分ぐらい働いてくれます。2条刈りだと40人分ぐらいの働きがあります。カッターと呼ばないで、バインダー(結束機)と呼ぶのは、なぜだろうと訝しがっていましたが、やってみるとわかります。刈るのは、簡単。でも、束ねるのに時間がかかるのです。その大変な方をばんばんやってくれるので、バインダーと呼ぶのでしょう。今では、その呼び名に納得しています。大家族ではそれに加えて人力で、はざかけをして、天日干しにします。そうやって、何とか1町歩(10,000m)まではこなしています。(残りはコンバインで収穫します。)バインダーがあっても、結構大変な作業です。スタッフがよくやってくれるし、市民のお手伝いもあって、4トン近くのお米を天日乾燥できています。

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やはり、味の最後の仕上げはお天道様なんですね。土地の農家もそのことはよく知っていて、「コンバインじゃ、味が落ちるからなあ。」と、望地では手間のかかる方を選択する方がいまだに多いですね。大半は自家用だからだと思います。

そんなわけで、稲刈りの季節は、私にとって、「バインダー様、様。」毎回、「今日もよろしくお願いします。」と声をかけて、無事刈り終ったら、「ありがとうございました。また、明日もお願いします。」とお礼を言います。どちらも中古で、とくに2条刈りの方は20年前か30年前の代物で、ご老体ですが、良く働いてくれます。その機械はたったの3万円で買ったのですが、(新品だと80万ぐらいし)、その元の持ち主から「良く動いてるなあ。」と言ってきたので、「もっと早く壊れると思ってましたか。」と半分からかってやりました。感謝して使うと、機械でも老体にムチ打って、がんばってくれます。

小川

「農」のある暮らしと、農業療法の提案

野菜の手入れ

田畑の持つ癒しの効果は、だいぶ広く知られるようになってきました。ストレス社会で畑を持ちたいと思う人も都市部ではずいぶん増えているようです。田畑を活用して精神疾患の治療を進める農業療法という言葉もあります。しかし、まだまだそれを活かしている組織や団体は少ないように思います。

大家族では、『「農」のある生活』を後押ししたいと思って、
和み農園 (相模原市中央区にある有機栽培貸農園)
やってみ田んぼ (有機米作りの体験農園)
いのちいきいき栽培研修会 (野菜の栽培方法を学ぶ)
自然耕塾(不耕起・冬季湛水・有機栽培の米作りを学ぶ)
の4つを開設しています。
そして、障害者の受け入れも始めました。

今後は、農業療法を実施したい団体と組んでいきたいと考えています。

芋掘り                私が前から気になっていることで、個人的に一番畑や田んぼに呼びたいのは、鬱で苦しんでいる学校に先生方です。以前は不登校の子供達の自立支援をしていたわけですが、今助けが必要なのは、むしろ学校の先生方ではないかと思います。神奈川県内の公立小、中、高等学校だけでも鬱で長期休職中の先生方は相当数に上るのではないかと思います。そういう先生方に限らずですが、精神疾患で悩んでいる方々に大地の確かさ、頼もしさ、作物の命の持つ逞しさ、健気さ、必死さ、全てを活かす自然の素晴らしさ等々、大地の上で、草の香りをかぎながら、お伝えしたいことは山ほどありますね。そして、黙々と草を取る、太陽の下で思い切り汗を流す、愛情込めて作物の手入れをする。田んぼの中のたくさんの生き物と出会う、などなど。そういうことをやっていたら、大地のエネルギーを足の裏から吸い取って、頭の中に渦巻く想念毒がすっと大地に吸収されて、体の中を宇宙の気と自然の気が駆け巡って、自分の優しさに気がついて、きっと萎えていた生命力が力強くまた脈を打ち出すのではないかと思いますね。作物に施した愛情に作物が素直に応えてくれるのもよい癒し効果を生むでしょう。

大都市の一角にある大家族では、田畑をそのように活用してほしいと願っています。

これを読んで何か心当たりのある方は、どうぞお気軽にご相談くだ さい。

小川

 

稗を取って、取って、取りまくりました!

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8月、9月と稗取りにいそしみました。取った稗は持ち帰るのがしきたり。今年も稗の山ができました。〆て、トラック5台分か?高齢化で田んぼに入らない農家が増えて、その貰い種で稗が増えています。

さて、こんだけ取ったら、もう田んぼの神様も、「よかろう、稲を刈れ!」と言ってくださることでしょう!

障害者のみなさんに助けていただいてます。

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8月に社員の募集をかけたら、なぜか市内にある障害者施設リアンから電話があって、農作業をさせてもらえないかとの打診がありました。「大家族」は先客万来、どなたでも受け入れているので、その場で「すぐ畑に来てください。」とお返事しました。その1時間後には畑で話がまとまるという電光石火の決着を見て、その翌週から週1回障害者のみなさん数名がスタッフと一緒にお手伝いに来てくださるようになりました。

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このところはずっと大豆畑の草取りをやっていただいています。皆さん、本当によくやってくださって、畑はどんどんきれいになっていき、人手不足の「大家族」はとても助かっています。障害者のみなさんにも良い気分転換になるようで、とても喜ばれています。
リアンのみなさん、いつもありがとうございます!
またよろしくお願いいたします。
小川

自然耕塾の稲刈

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春まだ浅い3月上旬に始まった不耕起・冬期湛水(一年中田んぼに水を張ること)の米作りを学ぶ第5回自然耕塾は回を重ねて9回目。理論と実習を組み合わせた7か月の学びと苦労の結晶が稔り、ようやく稲刈り・はざかけ作業に漕ぎ付きました。

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生憎小雨が降ったりやんだりする、どんより、ひんやりした稲刈りスタートでしたが、昼には雨も上がり、はざかけが終わるころには日も差して、気温も上がり、風もすがすがしく、何とも達成感と心地よさの実感溢れるフィニッシュでした。

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8月下旬からの日照不足が懸念されましたが、強い生命力を有する冬期湛水田の稲は、日照が回復した最後の3週間で後れを取り戻し、最終的にはかなり良い稔りとなりました。
例年学びのために様々な実験を行っていますが、今年は肥料の工夫で今までで一番収量が多いのではないかというのが、はざかけされた稲の様子から伺えます。

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しっかり天日干しをして、脱穀は2週間後を予定しています。
なお、ここの田んぼのお米は大家族の最高級米(玄米10㎏8300円、白米9,130円)なのですが、毎年真っ先に予約が完売してしまいます。生物多様性水田ならではの
自然豊かな味わいと高い生命力が調和して、格別な味になっているためだと思います。

小川

生きて活きて生き抜く意志

 

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(穂をはらんでいる茎が日に日に起き上がってきて、まるでジャンプしようとしているバッタのように見える。)

大地より 引き抜かれてぞ 標本と
なるは誉れと 解すべきかや

大地失せ 浮き身となりし 我なれど
命尽きても 種ぞ残さむ

 子供たちへ
私は去年の4月に仲間と一緒に苗箱に種まきされて、6月に田んぼに植えられた稲です。種もみの時から冷たい水に漬けられて、田んぼでは耕していないからとても固い土に植えられました。私はそこで死ぬ思いで根を張りました。またそこでも冷たい水にさらされたので、私は我慢し続けていたら、いつしか寒さに強く、たくましい体になりました。秋にはたくさん穂を付けたけど、スズメに全部食べられてしまいました。でも、私は仲間と一緒に真冬の寒さにも堪えることができて、枯れないまま冬を越すことができました。そして、うれしいことに、私は仲間と一緒に今年の春にまた芽を出すことができました。2年目の田んぼ生活は快適で、ぐんぐん株分かれできて、私はとても太くて大きな稲になりました。実もたくさんつけました。ところが、悲しいことにまたしてもスズメに食べられてしまいました。それでも諦めずに穂を出し続けていたら、私の主は私を引き抜いてしまいました。

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(上は普通の稲の株。20本の茎がある。下が多年草化した稲の株。73本もある。)

主は私を標本にするそうです。それは名誉なことかもしれません。でも、私は生きたい。最後の最後まで生き続けたい。そして、種を一つでも二つでも残してから死にたい。だから、大地から離されてしまっても、根っこから土を洗い落とされてしまっても、水がなくても、空気中の水分を吸い取って、私は茎を起こし、天を目指して体を伸ばします。命ある限り、最後まで諦めません。
だから、君たちも頑張って。

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(このような根っこはめったに見られないほど巨大で、逞しいものです。)

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今日、私の家に置いてある多年草稲から受け取ったメッセージです。
元気を失くしている子供たちに、鬱で苦しんでいる人たちに、自分は価値ない人間だと思って死のうと思っている人たちに、病院で病魔と闘っている人たちに、人生の悩み苦しみに押し潰されてしまいそうな人たちに、このメッセージを渡していただければ幸いです。

なお、この稲は明日田んぼに返してやることにしました。
小川 誠

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異常気象に野菜はどこまで持ち堪えられるか

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(オクラは低温と日照不足で蕾が花を咲かせられずに腐ってしまう)

お盆過ぎから関東を襲った長雨、異常低温と日照不足がとりわけ夏野菜に深刻な影響を与えています。オクラは寒くて花を咲かせることができません。ピーマンは体をすくめて実を付けるのを中止したかのよう。いんげんも花は咲いても、実がなかなか大きくなりません。にがうりは大きくなる前に腐ってしまいます。トマトは,茎は伸ばして葉は広げても全く実が付きません。きゅうりは羽虫がたかって、はっぱがぼろぼろ。これでは、実がまともになりません。20年野菜を育ててきて、こんな経験は初めてです。少なからず、ショックを受けています。

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(にがうりは大きくなる前に腐ってしまう)

有機栽培だから、自然農法だから、一寸やそっとの異常気象なら、うちの野菜は大丈夫だろうと思っていましたが、野菜は予想以上に敏感で、繊細で、か弱いことがわかりました。私の栽培方法もまだまだ改善の余地がありそうです。

何が致命的な問題かというと、極端な温度差です。それで、夏野菜はショック状態に陥ってしまいました。その後の悪天候で立ち直りのきっかけがつかめないでいます。

これから異常気象が激化し、極端な温度変化もさらに極端になって行くでしょう。そうなっていったら、野菜の栽培はますます難しくなっていくでしょう。

だったら、ハウスで作ったら?いえ、ハウスはハウスでもういろいろな問題が出ています。ここ数年自然災害で潰されるハウスも増える一方です。野菜工場があるさ!いや、それはままごとに近いでしょうね。オランダで最先端のスマートアグリは?いや、巨大台風で巨大温室がめちゃめちゃになるのが関の山でしょう。
私もショックから立ち直るのに時間がかかりそうです。

小川

健康のために発芽玄米をお勧めします!

2年前から発芽玄米を食べるようになって実感していることは
①柔らかくてとても食べやすい (”玄米噛み噛み修行”からの解放!)
②玄米よりずっとおいしい
③すぐお腹がいっぱいになる(=とても経済的)
④体が軽快で、調子が良くなる
という点です。

発芽玄米については以下サイトがとても分かりやすく解説しています。一度覗いてみてください。

http://www.mfbr.org/hatsugagenmai.html

玄米のこんなにいい食べ方があったのかと、感動しています。自信をもって皆さんにもお勧めできます。

私の大発見は、「いのちいきいき米」の場合、新米より「円熟米」のほうがさらにうま味が増して、感動するということです。

「なでしこ健康生活」という、とてもいい炊飯器も開発されています。
http://www.nadeshiko-club.com/

発芽玄米をぜひご検討ください。

小川

パレスチナ難民を自宅に迎えて

パレスチナ難民の思い出 001

アメリカ同時多発テロから半年後の2002年の春、ちょうど桜の花咲く頃、相模原市の市民有志がパレスチナ難民の子供5人と先生一人、計6人を相模原市にお招きしたことがあった。そのとき、縁あって、私の家(当時は寄宿生活塾 五色塾)で一週間寝食を共にする機会をいただいた。当時パレスチナと言えば、アラファト議長も健在で、テロリストの巣窟のようない悪いイメージがあって、正直私も受け入れには不安がないではなかった。しかし、能天気の夫婦は「どうにかなるよ」とばかり、二つ返事で受け入れた。その1週間は私の家族にとって生涯忘れ得ぬ思い出となった。

パレスチナ難民との暮らし 001

私はつくづく思った。同じ人間がどうして生まれた場所が違うと言うただそれだけの理由で、一方はイスラエルに国を奪われて難民となって40~50年、不自由と貧困と苦痛に苛まされ、繰り返されるイスラエルの爆撃になすすべを持たずに死への恐怖と隣り合わせで、怒りと絶望の渦巻くスラム世界に生き続けねばならない運命を背負っている。一方は何一つ不自由がなく、便利で快適で豊かな現代生活と、夢と希望を叶える機会と幸運に恵まれて生活している。この埋めようのない矛盾に満ち満ちた二つの世界の人間が共に同じ屋根の下で生活をしたのは、何とも不思議な巡り合わせだった。

パレスチナの子供達は少なくとも表面的には全く屈託がなく、むしろ日本の子供達よりずっとエネルギッシュで、私たちの事前の予想を完全に覆した。しかし、聞けばやはりみな親族や親せきを失って、心に癒しようにない深い傷を負っていた。

paresutina 001

(小6の子は、家族の面会が終わるや否や、外に飛び出して、自転車に飛びついた。倒れても、転がっても、無我夢中で自転車を乗りこなそうとした。何とか乗れるようになっても、何かに突撃しないと止まれなかった。事故に遭わなかったのは、奇跡だった。聞けば、難民キャンプではお金持ちの子しか自転車を持っていないのだという。5人中4人が自転車に夢中になった。)

彼らは2週間日本に滞在し、あちこちに招待され、東京見物などもして、物質文明の大輪咲く日本に圧倒されて、パレスチナに帰って行った。帰国直前に聞いたら、皆が私の家で過ごした一週間が一番楽しかったと言ってくれたそうだ。それを後で聞いて、本当にうれしかった。しかし、我が家は彼らのために特別なことは何もしなかった。ただ、一週間同じ人間として暮らしただけだ。同じ人間として。

それは、おそらくヨーロッパ人の妻の人道主義の感覚と、私と子供たちがドイツやマレーシアの生活で知らず体に染みついた人間の生活の元にある感覚だったのだと思う。

その感覚、「同じ人間なんだから」という感覚が今の日本人の間ではなぜか難民問題では麻痺したままだ。

シリア難民の受け入れにドイツを始めとするEU各国が苦労しているのを目の当たりにして、国連が「これはEUの問題ではなくて、世界全体が取り組むべき問題だ。」と世界に協力を求めた。すると、早速オーストラリア、ニュージーランド、カナダなどが難民の受け入れを表明した。しかし、日本政府は沈黙したままだ。国民の間からもシリア難民受け入れの声は上がってこない。
「痛み分け」という、苦労や苦しみを共に分かち合おうとする日本人の美徳は今でも発揮されている。それがどうして難民問題では発揮されないのだろう。日本人は変質してしまったのだろうか。

「私の”難民の友達”の思い出」

アフガン難民

難民支援協会のレポートに「私の”難民の友達”の思い出」が掲載されました。

原文より論点をより明確にしてあります。
「オリンピック招致では日本人の「おもてなし」を大々的にアピールする一方で、日本に命からがら助けを求めてやってくる難民に対しては、政府はもてなす気持ちがさらさらありません。例えば、今日本にいる難民申請者にはほとんどの場合、住む家も食料も与えられていません。昨年の難民申請数は5000人。難民認定したのはたったの11人。毎日2400万人分もの食糧をポイ捨てにしている国で、どうしてわずか1万人程度の仕事もない難民申請者に食糧を提供できないのでしょうか。全く身寄りのない難民にどうして住居すら提供できないのでしょうか。世界が一つになった時代に、多くが難民となることを避けられない時代にこんなに冷酷無慈悲な非人道国家が存在していていいのでしょうか。」
全文は以下をご覧ください。難民支援協会のホームページで日本の難民申請の現状もよくわかります
https://www.refugee.or.jp/jar/report/2015/09/11-1043.shtml