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「和み農」勉強会

「和み農」勉強会を開催しました。
主に6年前から開いている野菜の研修会と田んぼの研修会の修了生に呼びかけたところ、16名の参加があって、広間はいっぱいになりました。修了生の一人、吉田薫さんは東洋医学の見地から化学農法、有機農法、自然農法の野菜の成分分析をして、その違いを見事に解き明かしていて、目から鱗でした。吉田さんはいわば民間研究者。とても頭も体もフットワークがよくて、行動派。素晴らしい方です。今後の活躍を大いに期待します。
さて、「和み農」は私の造語です。
21世紀という環境の世紀、その時代に適応する農法がありません。農業は優れて自然環境を守りもするが、壊しもする両刃の剣です。現状は環境破壊産業、環境大汚染産業と化しています。そこを何とかできないか、現代農業の根本的な疑問や課題に対する答えを一つ一つ出して行って、まとめたものが「「和み農」です。まだまだ完成からは程遠いですが、骨格は出来上がりました。
その最初の説明会を昨日開くことができて、とてもうれしく思いました。これから、この紙面でも少しずつ「和み農」の考え方をご紹介していきたいと思います。

小川 誠

 ヒキガエル君との共生の試み

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みなさんは畑にヒキガエルがいることを知っていますか?今や、絶滅危惧種リストで希少種となったヒキガエル。私の不耕起の畑では推定100匹ぐらいは生息していると思います。そんな畑は専用農家の畑にはまずありません。みな、とうの昔に農薬とトラクターで滅ぼされてしまっています。
私の畑では作付をしない場所はできるだけ草を刈らないようにしておきます。そこがヒキガエル君の住処となるからです。その草を刈るときは、2度刈りします。一回目に表面10cmぐらいのところで刈って土が見えるようになったら、ヒキガエル君に声をかけます。
「いいかい。これから草刈り機で地面すれすれに草を刈るから、今のうちに逃げてちょうだいよ!」
そう言って、いるかいないか、歩きながら見回って、いないとわかると、刈り始めます。面白いことに、たいてい刈り終わったすぐ後で、もそもそとヒキガエル君が頭をもたげてきます。どうも草刈り間、頭を地べたに押し付けているらしいのです。そして、移動始めるのですが、片足ずつ交互にのばして、その動作の無様でのろいことと言ったら、ありません。〈君ねえ、カエルなら、もっとカエルらしく、ぴょんぴょん飛べよ。そもそも君はメタボすぎるよ。〉と言いたくなりますが、そこはぐっと我慢。なにせ、猛烈な速度で回転する草刈り機の刃に当たったら、イチコロです。
「よかったなあ。無事で!」

中東地域の刀狩り

イスラム国の論議がかまびすしい。阿部首相は犯人を捕まえて罪を償わせると牙をむき出しにした。世界同時多発テロが勃発した直後にジョージ・ブッシュが言った言葉と似てきた。実に危険だ。

中東地域に真の平和をもたらしたいなら、その最大の条件は、中東全域における「刀狩り」を実施することだ。今こそ、大和民族の智慧を体現した豊臣秀吉の刀狩りに世界は学ぶべきだ。オバマ大統領はイスラム国を壊滅させるとすごぶるが、湾岸戦争とイラク戦争と、10年に一度ずつあの地域に爆弾を雨あられと降らせた両ブッシュともはや何も変わらない。「戦闘による破壊と武器の供与」を繰り返したアメリカとヨーロッパ諸国が滅茶苦茶にした地域から発生したのがイスラム国ではないのか。それがいかに「不毛な平和ための最終手段」であるかを世界は知るべきだ。同じ轍を踏んではならない。

日本政府は今後も進んで難民支援と人道支援を行うと言う。それが間違っているとは思わない。しかし、そうやって周辺国の負担を減らして浮いたお金でまたそれらの国々が武器弾薬を買うのだったら、何のための支援になるのだろう

「和を以って尊しとなす」日本ならではの最大の貢献は世界に向けて中東地域の「刀狩り」を提案し、その実現のために「刀狩り有志連合」を結成し、政府一丸となってその具体的な実現へのプロセスを提案すべきだ。そして、そのために潤沢な資金を用意して「刀狩り基金」を設立し、有志連合にも資金の拠出を依頼して、恒久的な刀狩り運動を開始すべきだ。それこそが恒久平和を希求する日本国憲法の精神の真骨頂を発揮する舞台となるだろう。

農業は平和をもたらす。農村の牧歌的風景は人々との心を潤し、自然と和ませる。聖書には「剣を打ちかえて鋤とし、槍を打ちかえて鎌とし」という知恵もあるから、刀狩りは欧米にも通じるはずだ。
中近東の人々に麦の種と鋤(=トラクター)と鎌を配ろう。

草には負けないぞ

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(本葉を大きく広げた大豆は愛らしい)

津久井在来大豆の話を続けます。

種をまいて、無事芽が出て葉を広げることができたら、一安心というより大安心です。このあとは、大豆君たちの真価が発揮されるからです。彼らは次から次からどんどん葉を出しては広げていって、見る見る間に大きくなっていきます。その速さは雑草に匹敵するほどで、私は大豆ほど早く生長する作物を知りません。だから、足元は光が差さなくなって暗くなり、草が生えにくくなります。そうやって、大豆君は草に負けないくらい早く逞しく生長していきます。おかげで、草取りは一回さっとやるだけで済んでしまいます。もちろん、そのような栽培方法を見つけ出すまでに試行錯誤がありましたが。

ですから、こんなにこの土地に適合した作物は他にはないと思います。農家はそういう大豆をどうして作らないのか。作らなくなってしまったのか。大粒でたくさん収穫できて、味も濃い津久井在来大豆なのに。私には不思議でなりません。

小川

鳩さん、見つけても食べないで!

 

津久井在来大豆の種まきで私が一番困っているのは、種を播くときです。というのも、大家族では大豆を自家採取して、それを播いているのですが、その種を鳩が食べてしまうからです。

これがまたふるっていて、播かれた種はよせばいいのに、わざわざ丸ごと地上に顔を出して、「鳩さん、どうぞお食べください」とやるのです。なんでそんなことをやるのかというと、その種が真っ二つに割れて、最初の葉(子葉)になるのです。P1060807

(右に顔を出した大豆。左は種が二つに割れ始めたところ。)

だから、たまったものではありません。鳩君たちはここぞとばかり仲間を連れてきて、片っ端から食べまくります。また、種が土の中にあっても、鳩君たちは上手に見つけ出して食べてしまいます。そうして一昨年は何枚もの畑で物の見事に種を食べ尽くされてしまいました。

そう書くと、では、他の農家もみな同じ被害に遭うのではないかと思われるでしょう。ところが、そうはなりません。というのも、普通の大豆は表面に忌避剤と呼ばれる化学物質が塗られているので、鳩君たちはまずくて食べる気にならないからです。しかし、私のところではそれも農薬には違いないので、とても買って使う気にはなれないのです。でも、そうすると、鳩君たちの猛攻撃に遭ってしまう。これは実に深刻な問題です。種が成長できなければ、その年の大豆の生産は全滅するわけですから、まさに死活問題です。

それで、その年はどうしたかというと、「叶わぬ時の神頼み」とよく言いますが、他にできることが何もないので、本気で神様に祈りを捧げて、種を播き直しました。すると、どうでしょう。どの畑でも種は食べられずに葉を広げて、その畑で生きていくことが許されたのです。

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無事に子葉(下側)と初生葉(上側)を広げ始めたところ。初生葉は小鳥のくちばしのように見える。「ピーチクーパーチク、よかったよう、よかった、よかった、よかったよう」とさえずっているかのようだ。

ただ、一枚の畑だけは、ほとんどが食べられてしまいました。そこは、スタッフに播いてもらい、終わるころ私が行って、祈りを捧げたところでした。何が違ったのでしょうか。それは、祈りの深さだと思います。自分で播いたところの方が種に愛着を感じますし、その分真剣みが強かったのでしょう。

このような体験から、真摯で真剣な祈りは天に通じることがあるということを実感しました。その時私が感じたことをもう少し正確に言いましょう。                                       生き物との共生を目指して、農薬や化学肥料を使わない農業を神様は喜んでいらっしゃる。だから、農薬のかかっていない自然状態の大豆の種を播いて、必死で神様に祈ると、神様はその祈りを聞き入れてくださって、鳩君たちが食べないように諭してくださる。すると、鳩君たちは素直に神様の言いつけに従う。そういうことが本当にあるのです。

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見事に生い茂った大豆

神様に祈ってから大豆の種を播くということは、去年も実践しました。お陰様で、大豆は無事生長することができました。「和み農」では、「神への祈りから始める」ことを基本の一つに挙げていますが、実はそのような実体験からそれが有効であることがわかって加えたものです。

小川

おいしいと言われる喜び

農業を営む者にとして、お客さんから「小川さんの作った野菜、おいしいですね。」と言われるのは、本当にうれしいことで、それに勝る喜びはありません。自分が育てた野菜やお米を食べた人が「おいしいなあ。」と感じて、喜んだことを知らせてくれると、自分も喜びを感じます。すると、今までの苦労が報われます。お店に荷造りした野菜を持って行って並べていると、ときどきそう言ってくれるお客さんに出くわします。そういう瞬間は神様からご褒美をいただいたように感じますね。         おいしいと言われて、喜びを感じるのはおおよそ食べ物を作っている人なら、お母さんでも、コックさんでも、お総菜屋さんでも、果樹栽培農家でもみなきっと同じでしょう。おいしく作ったものを食べて喜んでもらいたいというよき思いと、おいしいものを食べた喜びを作った人に伝えたいというよき思いが共鳴するときは、人の心の中で響きあう、なんとも美しい音色を発しているのでしょうね。そんな風に感じます。

ただ、ちょっとまじめな話をすると、おいしさには、食べて体に良いおいしさと、体に悪いおいしさがあることは言っておきたいと思います。大家族は、前者に徹底的にこだわっています。つまり、命を養う、生命力を高める、それによって、明日の活力を育む。そういう、生きるための役、健康増進につながるおいしさを追及しています。残念ながら、人の味覚は必ずしも命を養わない物でもおいしく感じてしまう欠点がありますね。今は特に人工的なおいしさ、つまり化学物質によって作られたおいしい食品や、化学処理されて作られた不自然な食品が非常に増えています。しかし、それらはむしろ体に害をなすおいしさです。そういう物を取り込まないためには、現代社会では健康な農作物や食品に関するある程度の関心と知識がないとだめですね。現代は、知的に食べる時代でもあります。

小川

虫食いモロコシでも売れる

最近ちょっとはまっているゲームをご紹介します。それは小売ゲームです。そのゲームはとても簡単です。売りたいと思う野菜を荷造りしてお店に並べて、どれだけ売れたかを競うゲームです。相手はお客さんです。

というと、なんだそれって、ただ野菜を売っているってことじゃん。そのどこがゲームなの?といぶかしがることでしょう。ごもっとも、ごもっとも。でも、それはれっきとしたゲームなんです。お客さんと楽しむゲームです。

例えば、長さが15cmしかない細身の大根。これは売れると思いますか?スーパーではそんなの、まず売ってないですよね。でも、売れるか売れないか、試してみるのは、一種のゲームでしょ?!あるいは、重さが1kg以上もあるサツマイモ。これは売れると思いますか?それを試してみるのも結構わくわくするゲームですよ!置かせてもらっているお店から拒絶されなければの話ですが・・、あるいは、お客さんから「客をばかにするな!」と怒鳴られなければ。

そうやって、このところ、いろんな「売れそうもない野菜」が本当に売れないのかどうか、ゲーム感覚で試しています。すると、どうでしょう。まさかと思うようなものでも結構売れるんです!

上で挙げた巨大サツマイモ。これは10個あるお店に並べてもらったら、ただ置いておいただけなのに、2日で完売してしまいました。その際、売れそうもない形はどんな形かって、そんなことも予想したんですが、それも当たりましたね。サッカーボールのような芋らしからぬお芋さんが一番最後まで残りました。 それでも、もらってくれる人はいたんです!

どういう売り方をしたかですって?みなさんに当ててほしいですね。当たった人には、先着一名様に巨大さつま芋を3個贈呈しましょう。これまた面白いゲームになりますよ。どうぞ、お問合せフォームから投稿してください。その際、住所をお忘れなく。

そんなこんなで、今までの農家の常識で、あるいは消費者でもある私の常識で、今までスーパーや八百屋さんでは見たこともないような野菜が実は結構売れるんだってわかって、感動しています。それで売れた野菜を列記しましょう。                                       ・虫食いトウモロコシ (お店の人にはけっこう不評でしたが・・・                                  ・間引き菜(大根、かぶ・・・ 普通、農家は捨てている。                            ・いろんな大きさの大根、キャベツ、白菜、ブロッコリー           ・いろんな形、いろんな大きさのサツマイモ、虫食いサツマイモ

言うまでもなく、虫食いトウモロコシが最もスリリングでしたね!絶対売れないだろうと思っていましたから。だって、がぶっとやたら、虫が出てきたなんてことになったら、2度とうちのトウモロコシは普通なら買ってくれないですよね。それでも、試しちゃいました!正直に「虫食いあり!」とはっきりわかるように書いたラベルを張って、並べたのです。そうしたら、結構、覚悟を決めて(?)買ってくれた人がいたのには、我ながら驚き、かつ感動しました。

そういうゲームをお客さんとの間であれこれやってわかったことは、有機栽培の野菜を買うお客さんの多くは、一番大切にしているのは、見てくれじゃないんだということです。本当に安全で、本当においしかったら、お客さんは見てくれが悪くても、虫食いでも、中に虫が潜んでいるとわかっていても、農家に付き合ってくれるんですね。これは農家にとっては、大発見ですよ。

私はこのようなゲームをして、消費者のみなさんを見直しました。そして、農家は既成概念や固定観念に囚われすぎているのではないかと思うようになりました。よく曲がったキュウリのどこが悪いという話は出ますが、消費者の懐の大きさはそんなものではないと思います。もっともっと大きいんです。

ちなみに、大家族では「できた野菜はみんなで食べてあげる」というモットーがあります。それで、今言ったようなゲームをやっているというわけです。それは、育ってくれた野菜さんに対する誠意だと思っています。きっと大家族の不器量野菜を買ってくださるお客さんにも同じような優しい思いがあるのでしょうね。うれしいことです。

小川

けなげなキャベツ君たち

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農作業をしていると、感動する場面に時々遭遇します。         年の瀬、大晦日の日に今年一番感動した場面の写真をご紹介したいと思います。 これです。                                     この見苦しく虫に食われたキャベツのいったいどこに感動したのかと、思われることでしょう。

これはまさに私の失敗作です。肥料の投入の仕方を間違えたために猛烈に虫の攻撃を受けてしまって、キャベツは見るも無残に葉っぱを食べつくされてしまい、骨皮筋衛門になってしまいました。 その数100個以上。                                        「 悪いことをしちゃったなあ。」                         と思うと同時に、                                  「 これじゃあ、なにも売り物にならないや」                  と農家の計算がすぐに働きました。 大損失です。

・・・・・と書きましたが、実は、上の写真はそう思ってから一か月くらいたった時の写真なのです。骨皮筋衛門の状態だったにもかかわらず、それはそれは必至で光合成をやってキャベツ君たちはそれでも見事に巻いてくれたのです。そういうことはほとんど期待していなかったことです。キャベツ君たちの頑張りは並大抵なものではなかったと思います。 敗者からの大復活! 8割ぐらいは復活しました。ですから、この写真はキャベツ君たちの栄光の勝利の写真なのです!                                       そう言われると、虫食いの筋と皮の部分がなんだか見事なレースの刺繍のように見えてきませんか? そう、あのレンブラントの絵の中にある貴婦人の襟の刺繍のように。

いやあ、そこまで私についてくるのはちょっと無理かもしれませんね。でも、キャベツ君に対して罪の意識のある私には、それくらい褒めておだててやりたい親心があるのです。
ちなみに、これらのキャベツはお店でちゃんと貰い手がみつかりました。 めでたしめでたし。
小川

津久井在来大豆

合資会社 大家族の津久井在来大豆にちなんだお話ししたいと思います。

1.大豆生産の背景

なぜ津久井在来大豆の生産を始めたかというと、大家族には市民が出資して経営を支え、(お金はないが生産技術はある)農家が本当に安全な食料を生産すると同時に、市民と力を合わせて将来起こりうる食料危機に備えるという、一番基本的な約束事があります。           大家族では、食料危機ないし穀物価格の暴騰はまず大豆から始まると考えています。なぜなら、大豆の国内自給率はわずか5%しかなく、風前の灯です。加えて、地球温暖化に伴う異常気象の激化や爆食中国の急激な需要増加などによって、大豆の生産も輸入環境も、急速に不確実化、不安定化しつつあるからです。

 

もう一つの理由は、和食の基本は米と味噌であると考えていて、有機栽培で生命力のある玄米と大豆、そして大豆を加工した天然醸造の味噌さえあれば、日本人は、ほかに食料が途絶えても、長期にわたって健康が維持できると考えているからです。これはマクロビオティックに近い考え方だと思います。

2.津久井在来大豆の特性

うれしいことに、相模原には津久井在来大豆という、味の濃さで定評のある、地元のお豆があります。そういう地元の在来種は栽培が容易で、しかも栄養価に富んでいます。また、味が濃いので、豆単体でも売りやすく、大豆製品にしても、おいしい物ができます。今日では、津久井在来大豆は神奈川県が推奨する神奈川ブランドに認定されています。今、全県で津久井在来大豆の振興が進められていて、県民の認知度が年々高くなっています。

3.大家族の生産方法

大家族では「和み農」で大豆の生産技術を一通り確立しています。普通にみられる化学農法の生産方法とはかなり違うかもしれません。後日またお話ししたいと思います。

続く

 

 

合同収穫祭

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いのちいきいき栽培研修会と自然耕塾はいずれも一年のコースです。ですから、春まだ寒い時期に始まって、四季の巡りを感じながら、実りの秋の終わりまで続きます。畑と田んぼと、様子は異なりますが、収穫の秋で一巡することが体でわかります。その最後の締めくくりが収穫祭です。この日を迎える喜びは、一年の巡りを感じた人には格別です。大家族では、畑の研修生と田んぼの研修生がが合同で収穫を祝います。

収穫祭はいろいろな形があるでしょうが、大家族というより、私のところではもうかれこれ20年ぐらい、収穫祭はみんなで餅をつきます。

あ、ただし、その前に近くに神社にみんなでお参りして、お米や野菜をお供えして、一年の実りを与えてくださったことを氏神様に感謝します。

餅を搗くそばから、磯辺巻、黄な粉餅、あんころ餅、納豆餅、大根おろし餅などをみんなで作って、かたっぱしから食べるという、食い気丸出しのお祝いをしています。有機栽培のもち米を使うことでまずおいしくなります。薪で蒸すので、さらにおいしくなります。杵で搗くので、またさらにおいしくなります。餅つきで適当に体を動かしてから食べるので俄然食欲も増しています。搗きたてを食べるので、またまた一段おいしさが増します。というふうに、一番おいしく食べる仕掛けがしてあります。

今年もみなさんその味を十分堪能されていました。

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お酒も適度に入って、お腹が膨れたところで、修了証書の授与式を行い、自然耕塾生は自分たちが丹精込めて育てた不耕起・冬季湛水のお米を併せて受け取ります。一年の苦労が脳裏に蘇っているようでした。

 

その日は、ぽかぽかの小春日和で、とても穏やかな日差しの中で畑と田んぼの研修生もすぐに打ち解けて、とても和やかな雰囲気の収穫祭となりました。

小川